西郷党BLOG

道を行う者 西郷吉之助 p033 第四章-01

一箇の大丈夫西郷吉之助

いったい人間は何のために、何を目的として生きるのか

この問いはなかなか難しい。数多くの哲学者や思想家や宗教家が歴史の中に登場したが、一部の人々を納得させても、人間の生きる目的はこうだと、多くの人々を納得させる明快な答えを出すことは誰もできなかった。果たして人間の生きる目的とは何
か。

人間は自然界の中で唯一自由意志を持つゆえに個性も千差万別。この個性の違いこそ人間の特性であり、人間の存在そのものといえる。それゆえ、生きる目的も千差万別であり、その目的の有無さえ一人ひとりに委ねられているとも考えられる。二十一世紀の現在、地球人口は六十七億人である。自由意志を持つ人だけに、一人ひとりが生きていく目的を見いださなければならないのか。

一方、ほかの動物同様、「生きる」こと自体が人間の目的とする見方もある。人間はめしを食わなければ生きられない。めしを食って生命を維持することが最大の生きる目的という考え方である。どんな高尚な人間が生きる目的を並べてみても、生存に直結する「生きるために食べる」という目的の前では絵空事でしかない。明日の食がなければ飢え死にする状況の下では、人の生きる目的など何のたしにもならない。現在の地球上では十億人が飢餓状態にあるという。人間は薄情な動物である。自分の不幸は我慢できないが、他人の不幸は結構見過ごせるのである。地球上には約二百の国家が存在するが、発展途上国の中には、国家とは名ばかりで、内戦が続き国土は荒れ果て、国民は保護されず明日の食に窮するという国もある。

人間の顔かたちをしていても、人としての生活ができなければ、ただの動物に成り下がってしまうのである。人類の歴史は、エゴとエゴのぶつかり合いで多くの人々が殺される戦争の連続であり、貧困や飢餓は人間をえさをあさる家畜におとしめ、人間の尊厳を完全に剥ぎ取ってきた。人間としての教育を受け、人として生きられる最低限の生活の保障の下でようやく、人として生きられる。そうでなければ、顔かたちは人間であっても、生きるためにえさを求めるただの動物になってしまうのである。しかし、人間の生きる目的は、このような見方で語り尽くせるのだろうか。西郷の生き方をたどっていくと、そうとは思えないのである。特に象徴的なのが、島津久光の怒りにふれ沖永良部島に流されたときの西郷の態度である。

天井と床があるばかりで四方を牢格子で囲った二坪ほどの獄舎につながれた。野ざらしの家畜小屋同然であり、雨風は容赦なく吹き込み、蚊、ハエなど虫は入り放題、食事は家畜のえさに等しかった。まさしく家畜同様の扱いであった。西郷は、青年時代から義を好み悪を憎み至誠を貫こうとしていた。いにしえの聖賢・英雄・豪傑にあこがれ彼らと己を比べ、彼らに負けない「大丈夫」を志していた。そんな中、名君島津斉彬にいきなり見いだされ、斉彬の秘書官として幕末の政治の表舞台に登場した。至誠をもって斉彬につかえ、また斉彬の教えを水が綿に浸みるように吸収した。斉彬の意をくみ将軍継嗣問題などで縦横無尽の活躍をした。斉彬はそんな西郷を愛し、あるとき越前藩主・松平春嶽との会談の中で「拙者にはずいぶんと家来がござるが、いざというとき、真に役立つ人物は西郷吉之助という者だけで、我が家の貴重な宝でござる。ただし独立の気性に富んでいる者にござれば、拙者でなければ使いこなせませぬ」と語ったという。

しかし、まばゆいスポットライトを浴びていた西郷の人生は、一転して不幸のどん底に落ち込む。西郷を取り立ててくれた斉彬が一八五八年(安政五年)七月急死する。そして、安政の大獄、月照との入水事件、奄美大島への三年間の島流し(潜居)と続く。いったん召還され鹿児島に戻るが、三カ月後には再び罪に問われ沖永良部島に遠島を命じられるのである。南海の絶海の孤島。その大地に建てられた野ざらし吹きさらしの「囲い牢」はまさに動物の檻であり、人間の尊厳などという言葉はふっ飛んでしまう。生身みの人間が大
自然の中に身をさらして寝起きしなければならない。このような状況の中で西郷は何を考え何を思ったのであろうか。いったい人間とは何か。人間とほかの動物との違いはどこにあるのか。そして人間は何のために何を目的として生きるのか。

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