西郷党BLOG

西郷魂 西郷吉之助 p045 第五章-05

一箇の大丈夫西郷吉之助

準備

人間六十歳を過ぎると人生が少しばかり分ったような気になり、出会った人の究極の人生目的は何かを尋ねてみたくなる。西郷の究極の人生の目的は明確であり、青年時代から城山で死ぬときまで一貫している。それは聖賢を目指し、聖賢になることであり終生「道を行う者」であることだ。単純明解にしてシンプルである。その分よけいなものが入らないから強い。西郷の目的は、生涯を懸けて己、西郷吉之助という男をどこまで高め得るかである。それが目的のすべてである。

地位や権力や名誉や金といった他人とのかかわりの中で得るものでなく、また物質のように目に見えるものでなく、限界・限度があることもなく、他人と競争したり奪い合ったりすることもない。すべては己一個の内に属している。この大自然・宇宙をも己の内に収めんとする気宇の壮大さがある。西郷吉之助とはこういう人間である。西郷の訓練方法は独りよがりで自己満足に陥るなど片寄った狭いものではない。己を歴史上の聖賢・英雄・豪傑と比較して自身の及ばないところ、足らないところを補っていき、実際どれほど習得されているか、日々の事象の中で実行し検証するという極めて客観的な方法を取っている。

西郷と大久保はよく比較される。一般に西郷は大胆直情で、その分大雑把であるかのようにみられている。しかし、それは誤った見方で、本当の西郷を知ろうとしないか、またもともと理解できない人が多い。西郷は準備万端、用意周到で軽挙妄動せず、時勢や騎虎の勢いといったものにも流されず、また情に左右されることもない大丈夫である。西郷が参考とするいにしえの聖賢・英雄・豪傑は大胆と細心を併せ持っている。

またそうでなければ大事など成せるはずもないのである。大事を成すためには己にどういう資質が必要とされるか、それを彼らと比べ修業している西郷である。むしろ、大久保の方が大胆であり、大雑把であるといえる。大久保は沈着冷静にして剛毅であり、威厳が備わると見られている。大久保の究極の人生目的は権力を得ることである。権力を持たなければ、どんな崇高な志があろうと、それは画餅にすぎない。大久保にとって権力は目的であり手段でもあった。権力とは棚から牡丹餅がころがり込んでくるものではない。相手をその座から追い落としてでも奪わなければならない地位である。その地位に伴う権力によって他人に命令を下し、組織を動かすのだ。
権力を保持しさらに上の地位を望むためには、人に恐れられた方がよい。相手を畏怖せしめるためには冷厳さや威厳は有効な手段である。

人類の長い間の集団組織生活の習性であろうか。人間は地位や権力に非常に弱くできている。権力を行使されることを恐れ、これに従順である。西郷のようにどんな権力の前であろうと「道義においては一身を顧みず」とはいかない。これができる人は百人に一人もいない。それほど権力は人間を従わせる力を持っている。現代の日本でも、国、地方公共団体、会社・企業、そのほか大小の組織の中で権限のある地位を手に入れると、その地位の顔になってくる。課長は課長の、部長は部長の、社長は社長のその地位に合った顔を演じることが仕事の一部となり、本来その地位で果たすべき職務と責任が後回しにされる。民主主義社会であってもよくあることだが、いったん手にした権力をいかに長く保持するかに主眼が置かれ、それを邪魔する者は排除するという妙な独善ができ上がる。

あの人は「…組織の天皇だ」と呼ばれる専制者が現れる。先の小泉元首相を見ていると、国家国民のことより己のパフォーマンスを重視して、それによって政権を一日でも長く維持することに主眼を置いているように感じられた。歴史上のどの権力者を見てもほとんどは己のための政治であり、織田信長のように「天下布武」という明確な目的のもとに国を治めようとした者は少ない。国家・国民のためという看板をかかげても実態は己のためというのが多い。

明治以後の大久保は、外見は冷静沈着であるが、打つ手は大胆で、大雑把で無謀・無計画であり、場あたりで時勢に流されている。急いで進めた廃藩置県と無計画な遣欧米使節団。感情的な征韓論争、西郷の下野直後に取って付けたように島津久光を左大臣に就任させる。時勢や体面に流された、やらなくともよかった朝鮮との不平等条約、大胆で大雑把な征台の役に踏み切る。これらのことを検証すれば大久保がいかに準備不足の人物だったかが分かる。

西郷と大久保では、何のための準備かという目的が少し違うのである。廃藩置県は維新革命の中で、実行しなければならない、必然のものであったが、その目的は何かと問うとき、西郷は大義のため当然のことと考える。しかし、大久保も木戸も山県、伊藤、井上も必要性は痛感するが、それは大義のためという意識が薄かった。新政府を樹立したが、旧藩主が軍(藩兵)と徴税権を握っており、これでは自分たちに権限権力の実がないので、彼らからその権力を奪いたい。そいう目的が少なからずあった。

世界史の中の革命を見ても、権力の旧体制からの争奪は必ずといってよいほどある。しかしながら、目的の中に私(わたし)のためという気持ちが少しでも入ると、目前に起こる事象によって打つ手がさまざまに変化させられてしまう。また、私(わたし)のためという気持ちが混じれば、権力の質も変化せざるを得なくなる。そのときには打つ手は最善策のように見えても、十年後、三十年後には悪手であったと評されることは歴史上よくあることである。平成の長期政権を保持した小泉元首相の郵政民営化などは、アメリカのためだけであったのではないかと思えてくる。

二〇〇九年、民主党政権に代わり民営化見直しが論議されてもいる。西郷の唱える「国家の大業を成すには命もいらず名もいらず官位も金もいらぬ」ほど、平生において強い意志を持っていないと、時勢や我欲、さらにその時々でかかわってくるさまざまな人間関係に左右され流されてしまう。西郷のように己の欲に左右されない、それを超えたところにある道義に、己の判断や決断の基準を置くべきである。「道義」は、人間の根底に何千年と存在している法則である。また、それを日々の訓練によって誤りのない確かなものにしていなければ人間という動物は自己流の判断、決断に陥ってしまう。

人は正しい判断・決断をするためには何を基準にすべきか、それを西郷は道義としている。時に西郷が情の人として映るのは、道義をもとに判断決断しているからであって情に流されているのではない。次の『遺訓』の一節から、西郷が平生の訓練や準備をいかに大切にしたかが分かる。「身を修し己れを正して、君子の体を具ふる共、処分の出来ぬ人ならば、木偶人も同然なり。譬へば数十人の客不意に入り来んに、仮令何程饗応したく思ふ共、兼て器具調度の備無ければ、唯心配するのみにて、取賄ふ可き様有間敷ぞ。常に備あれば、幾人なり共、数に応じて賄はる也。夫れ故平日の用意は肝腎ぞとて、古語を書いて賜りき。文非二鉛槧一也。必有二処レ事之才一。 武非二劒楯一也。必有二料レ敵之智一。才智之所レ在一焉而巳」

(自分の行いを修め、心を正しく君子の形をそなえても事にあたってその処理のできない人は、ちょうど木で作った人形も同じことである。たとえば数十人のお客が俄かにおしかけて来た場合、どんなにもてなそうと思っても、かねて器物や道具の準備ができていなければ、ただおろおろと心配するだけで、接待のしようもないであろう。いつも道具の準備があれば、たとえ何人であろうとも、数に応じて接待することができるのである。だから、かねての用意こそ何よりも大事なことであると古語を書いて下さった。文は鉛槧に非ざるなり。必ず事に処するの才あり。武は剣楯に非ざるなり。必ず敵をはかるの智あり。才智の在るところ一のみ。〈註 学問というのはただ文筆の業のことをいうのではない。必ず事に当ってこれをさばくことのできる才能のあることである。武道というものは剣や楯をうまく使いこなすことをいうのではない。必ず敵を知ってこれに処する知恵のあることである。才能と知恵のあるところはただ一つである〉)

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