西郷党BLOG

西郷魂 西郷吉之助 p046 第五章-06

一箇の大丈夫西郷吉之助

果断

「果断は義より来る者有り。智より来る者あり。勇より来る者有り。義と智とを併せて来る者有り。上なり。徒勇のみなるは殆
し」(『手抄言志録』七十四項)(物事を思い切りよく決行するという事は、正義感から来ることもあり、智慧より来ることもあり、勇気から来ることもある。また、正義感と智慧と合わせて来る場合があるが、これが最上の果断である。単に勇気だけから来る果断は、危険である)

語義 ○果断―思い切って事を決行すること
   ○徒勇―いたずらな勇気。単に血気にはやる勇気

二〇〇九年八月三十日、衆議院議員総選挙の結果、自民党が歴史的大敗を喫し政権を民主党に明け渡した。議員の任期ぎりぎりになっての解散総選挙であったことが大敗につながったとされ、麻生首相の決断の遅さが論じられた。党内勢力のこちらの意見を聞いてはなるほどと思い、あちらの意見を聞いては論理があるように思うといったように、迷いがあったようである。西郷は「猶予狐疑は第一毒病にて、害をなす事はなはだ多し」(ぐずぐずしたり、疑い深いというのは第一の毒で、害を及ばすことが、きわめて多い)と述べ、「狐疑猶予は義心の不足より発るものなり」としている。小さな決断は誰でも容易にできるが、大きな決断や先が見えない決断はそう簡単にできるものではない。常日ごろから事の大小にかかわらず何を基準にして決断するのかという己自身の判断・決断を持ち、それが直ちに実践できるよう訓練しておかなければならない。

判断・決断の基準を西郷は道義に置くことが果断の要件であると説く。なぜなら道義とは人間の根本の正義であり人間の歴史が続く以上普遍のものだからである。この大原則に従って決断を下す。そうすることが誤りのない、たとえその時反対者がいたとしても、正しい判断であるといえる。国家の運営においてはなおのこと道義を基準にする判断・決断でなければならない。

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