日本道義主義の会 新春対談
「西郷隆盛がいなかったら明治維新はどうなっていただろう」
年が明けても世界はコロナウイルスが蔓延しています。そんな時代に人々はどう生きて、どのような死生祝をもって過ごしたらいいのか。西郷隆盛の死生観をテーマに作家であり、明治天皇の玄系として知られる竹口恒泰さんと日本道義の会会長早川幹夫さんがFM FuJlの春組「ニホンのナカミ」で対談しました。今回は対談で収録したものを誌面にて紹介いたします。
全文掲載
竹田恒泰
作家。昭和50年(1975年)、1日皇族・竹田家に生まれる。明治天皇の玄孫にあたる。
慶應義塾大学法学部法律学科卒業。平成18年『語られなかった皇族たちの真実』(小学館)で第15回山本七平賞を受賞。
『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』F現代語古事記』など著書多数。
また、全国17ヶ所で開催している「竹田研究会」を含め、年間200本以上の講演を行っている。
早川幹夫
日本道義主義の会会長。昭和23年鹿児島県奄美大島生まれ。拓殖大学卒。琉球大学文部事務官に就職。
その後沖縄・東京で人材派遣会社を起業し、現在に至る。西郷隆盛の生き方に感銘を受け、混迷する現在の世界の政治と経済に道義主義を唱える。
著書に「―箇の大丈夫西郷吉之助」「道義 国家を目指した西郷吉之助」「始末に困る人 西郷吉之助」などがある。

FM FUJIがお送りしている番組「ニホンのナカミ」。今週もゲストをお迎えしました。作家の早川幹夫さんです。早川さんよろしくお願いします。

こちらこそよろしくお願いします。

この番組は、西郷隆盛の故郷である鹿児島でも放送されているのですが、実は西郷隆盛を取り上げるのはこの番組では初めてになるんです。そこで西郷隆盛の歴史的な活動・業績について早川さんにお話をお伺いしたいと思うのですが。

私が西郷隆盛を見て、思うのは、西郷隆盛なくしては、このような形の明治維新での明治国家にはならなかっただろう。そして西郷隆盛は世界に誇れる哲学と思想を持った人間だと思います。

そうですね。西郷隆盛なくして明治の日本は考えられませんね。

西郷隆盛がいなかったら明治維新が遅れたか、違った形の明治維新になったかと思います。

おそらく学校の歴史教科書を見ても、西郷隆盛という人物が出ているには出ているのですが、この方がいかにすごい方なのか。なぜこの人がいないと今の日本はないと言えるのか。そういうのは教科書だけでは汲み取りにくいところがありますよね。

やはり明治十年の西南戦争は西郷隆盛が主導したということになっていて、三度と西郷隆盛のような人が出てもらつては困るという政府の意図があって、体のいい、西郷さん、西郷さんと祀り上げて片付けたのではないかと私は思います。

なるほど。西郷さんという親しみやすい呼び方自体も政治的な意図があったかもしれないと。

それは時の政府としては、たびたび西郷隆盛のような人が政府に楯突いてもらっては困る。そういう」意味で西郷隆盛を祀り上げたんだと思います。

西郷さん自身も、そういうところを良しとして受け入れたようなところがありますよね。

そうですね。

そういうところもまた格好良いなと思います。
最後、西南戦争で官軍が非常に強いというのを見て、西郷隆盛はこれで安心できると思っ
たのです。普通だったら敵対している軍隊が強かったら何クソと思うだろうに、そこで安心できると。これはすごい。器が大きいといいますか、自分の地位や名声に興味がなく、将来の日本を本気で考えていらしたんだなと思いますね。今は多くの人が自分がどういう地位に上り詰めるか、どういう評価を受けるかを考えている方ばかりだと思います。

仰るとおりですね。五十年、百年後の日本と日本人に対して、今自分が何ができるかというのを考えられるような政治家が多くなってほしいと思います。

早川さんが西郷隆盛について研究されるようになったきつかけはどんなことだつたんですか?

私は、学生時代、東京にいまして、相当不規則な生活をして心臓を悪くしてしまいました。医者からは死ぬかもしれない、死ぬと言われていたそのころ、大学の講義でたまたま西郷隆盛の死生観を労働法の教授が語ったんですよ。労働法の先生が西郷隆盛の死生観を話したときに、私は砂漠でオアシスを見つけたように飛びついて、西郷隆盛の本を読みあさりました。多少なりとも死生観というか、それで死の恐怖を払拭したいという思いで、西郷隆盛の遺訓集に入っていったということです。

普通は労働法の先生は西郷隆盛の死生観に触れないとは思うのですが、素晴らしい先生ですね。

ほんの少しですけれど…。死の恐怖心があったものですから、その死生観に藁をも槌る思いで読み始めました。それまでは西郷隆盛のことは歴史の教科書でしか知らなかったですが。

早川さんは西郷隆盛のことを色々研究なさっていますが、例えばNHKの大河ドラマの「西郷どん」がありますし、もしくは一般の人が思い描く西郷隆盛のイメージと、実際はどういう風に思っていらつしやいます?

今までは上野の銅像のように太っていてというイメージだったかと思いますが、「西郷どん」の鈴木亮平演じる西郷隆盛がまさしくそうだったであろうと思います。これは西郷隆盛の遺訓集を読むと、ずんぐりむっくりじゃ、とてもじゃないけどあれだけの活躍はできなかったのではないでしょうか。今の西郷隆盛のイメージは明治維新以降になったのであって、明治維新までの西郷隆盛はスピード感や考えの柔軟さを持ち合わせたような人物だったと思いますね。

そうなんですね。大体上野の銅像のイメージの人が多いと思いますが。NHKは正しい方向に戻してくれたんでしょうか。

NHKのおかげで西郷隆盛像が変わったと私は思いました。

正しい方向に戻ったんですね。あと西郷さんの内面や人間性についてはどうでしょうか?
やっぱり多くの人がイメージしている通りでしょうか。

一般的に西郷隆盛というと、情に脆い、戦国時代で言うと、柴田勝家風に見られがちです。しかし、実際の西郷隆盛は国家についてのデザインも持っていたり、どういう国にすべきかという深い哲学を持った人物でありました。遺訓集はどうしても一次資料とはなりえないとされています。遺訓集は山形の人たちが西郷隆盛から聞いた教訓や思想をまとめて一冊の本にしたものです。そういう面で、学者や歴史小説家の方が遺訓集の信用を遠ざけた、なおざりにしたというのはありますね。

確かにそうですね。情に脆いというか、情が一番最初にイメージで湧いてきますが、その奥にはしっかりした考え方、明晰な頭脳をお持ちだったということですね。

ある面、西南戦争の影響で作られた西郷像になってしまったかなと思いますね。

西南戦争も西郷さんがけしかけて、中心になって始めたものじゃないのですけどね。

先ほどもいいましたが、二度と西郷のような人が現れてもらつちゃ困る。そういう面で、私からみたら若千違う西郷隆盛像が定着してしまったと思います。それを「西郷どん」の鈴木亮平さん演じる西郷さんは軽やかに頭脳明細で、行動的で、欲も少なくて。実像に多少近くなっていると思いますね。

先ほど労働法の先生が語った西郷隆盛の死生観に大変感銘をお受けなさったということですが、どうでしょう。
今こういう厳しいコロナ禍で、世界情勢も混沌として、社会に閉塞感がありますが、西郷隆盛さんの残した言葉とか、生き方の中で、今この時期の日本人は、この西郷隆盛の言葉に耳を傾けたら良いというものはありますか。

私たちは、生まれて死ぬのは確実なので、その中で多少なりとも生とはなんぞや、死とはなんぞやというような自分なりの死生観を持った方がいいと思います。そうすると死についてうろたえないわけですよ。
そういう面で、過去の日本には武士社会がありましたので、多少なりとも死生観が、DNAのようにあるのではないでしようか。
あともう一つは包み込みの思想ですね。今アメリカにしても世界各国で分断、内紛とかが起こっている。
そういう面で、人類を包み込める思想が、西郷隆盛が唱えた「敬天愛人」だと思います。天は人も我も同一に愛したまう。我を愛する心を持って人を愛するという包み込みの思想が地球上に欠けていると思います。

西郷さんの死生観というところですけど、早川さんも若かりし頃に速攻で引き込まれたということですけど、西郷さんの死生観について簡単にお話いただけないでしようか。

例えばひとつの車があるとします。そこに乗っている人が魂で、車は肉体です。肉体は滅びるが、乗っている人は出たり入ったりする。そういう風に魂は肉体に宿っているだけで、自分でコントロールできるものじゃない。それは自然界の落ち葉や木が枯れたりするのと同様に、死は、西郷隆盛の言葉でいえば天が与えたものだと。そういう感覚でいる。
今のコロナが蔓延している時代のように、死はいつ来るかわからないけど、自分なりに生と死を見つめて行動していたんじゃないかなと思います。普段から死と生を考えているのは大切だと思います。

特にコロナは、最初どこまで怖いのかなと思っていましたが、志村けんさんが亡くなって、知っている人が亡くなつたということで、急に死を身近に感じた人がいると思います。

私が西郷隆盛を見て思うのは、ある程度、死を仮に火とすると、いつも近づけて置いていた方がいいかなと思います。遠くに置いて急に来たら困るから、いつも身近に置くことで自分を向上させたり、人間として成長させる役目として置いている気がしますね。

なるほど。普通の人にとっては、死ぬというのは分かっているけど、考えたくないし、ずっと先だろうと思っていますね。だから死なないつもりで生きてます。これが死ぬつもりで生き始めたら本当に生きているということになるのかもしれないですね。

仰るとおりだと思います。人間はわがままでいい加減で怠け者ですから、いつも火を身近に置いておくと、自分を見つめざるを得ない。成長せざるを得ない。死を自分を成長させるために活用していたと思います。

たまたまそういう体験をして思ったのではなくて、ちゃんと自分で死を近くに置いていたということですね。深いですね。

西郷隆盛の生き方を見て思うのは、やはり人間はいいかげんで、沖縄の言葉でいえば、「て―げ―」、横着にできていますから、あえて死を身近に置いて、いつも緊張するようなことをしないと人間は成長しない。それで西郷隆盛はあえて死を身近に置いていたのかなと思います。

どの時代でも西郷さんが愛される理由というのは、どこにあると思いますか。

一言でいうならば、無私。全くの無私には人はなれませんが、欲をいつも少なくしようと、自分のエゴと葛藤しているところかなと思いますね。

これは元々ないんじゃなくて、それを少なくするように努力なさったと。

そうだと思います。生命の欲望の全てにおいて、人間は一分一秒でも長生きしたい。それも欲と捉えて、少なくするようにしていたと思います。

元々私利私欲がないというと、自分とは関係ないと思いますが、それを努力して欲というものを減らしていくというのは生きる上で模範になりますね。短い時間でしたが、大変重要なことをお聞きすることができました。
折角ですので、早川さんのご著書を紹介させていただきたいのですが、タイトルが「一箇の大文夫 西郷吉之助」。「人間の強さと大きさと高さを求めた明治維新の英雄、西郷隆盛の大きな安心を!」というサブタイトルが入っていますが、道義主義の会からの出版ですね。私も拝見しましたが、今を生きる人にとつて重要なメッセージを分かりやすく述べてくださっているので今の時期に読むのにいい本だと思います。
最後に西郷さんの「南洲翁遺訓集」の言葉から早川さんの今後の活動についてご紹介いただけないでしようか。

私が思うのは、聖賢を目指すということですね。ようは人間は例えば楽器であったリスポーツであったら、上達の過程がわかりますが、本当は人間の上達というのをやらないといけない。そのモデルとして聖人君子を目指す。やはり人間も成長しなくてはいけないというのが、聖賢の志だと思います。

聖賢を目指すということですね。日標を高いところにバーンと掲げるということですね。

そうです。そして自分という人間がどれほど成長するか、自分との戦いであるともいえます。

自分をそこに置いてどんどん高めていく。それが聖賢を目指すということなのですね。貴重なお言葉をいただきました。ありがとうございます。
「ニホンのナカミ」は富士山のおひざ元、FM FUJIから、茨城放送、四国放送、岐阜放送、南日本放送、西日本(にしにっぼん)放送、和歌山放送、エフエム立川、ロサンゼルスT J S R A D 1 0 F M以上9局ネットで放送しています。