西郷党BLOG

仕末に困る人 西郷吉之助 2p042-第四章_05

仕末に困る人西郷吉之助

第四章 廃藩置県

100年後の廃国置県

西郷の壮大な漢詩を紹介する。
宇宙由来日赴新(宇宙由来日に新に赴き)
数千里外巳如隣(数千里外巳に隣の如し)
願知四海同胞意(四海同胞の意を知らむと願わば)
皇道頻敷萬国民(皇道頻に万国の民に敷け)

(世界はもともと日に新たに、また日に新たに進歩している。今日ではもはや、何千里も遠く隔たっている海外諸国がまるで隣に見たように近くなっている。四海同胞という語もよく使われているが、世界中の人は昔同じ胞から生まれた兄弟同然だというこの語の真の意味をよく知りたいと思うならば、我が日本の天子様の大御心の顕現である仁慈の皇道をしきりに世界万国の民に敷き及ぼせ)

『遺訓』では皇道を「我が日本の天子様の大御心の顕現である仁慈の皇道」と訳している。当時の西郷がどういう意味で「皇道」という文字を用いたのであろうか。皇道といえば皇国につながり、戦前の皇国思想のようで嫌だと思うかもしれない。小さなことにこだわるようであるが、西郷は誤解されやすいので、皇道という言葉について考えたい。
西郷には「敬天愛人」にもとづく天の思想がある。西郷が意味する「天」とは、「万有の根源のことであり、その天の機能は仁愛である」と考えている。

西郷の天子(天皇)や大名に対する考え方は沖永良部島に流されているとき、土持政照に島役人の心構えを説明した『与人役大体』に出ている。日本に天子がいて大名がいる、その存在意義は何なのか、またその役目は何なのか。当時の土持政照に分かりやすく説明した。
天は万民を慈しみ、仁愛をほどこし、そして人に人の道を行わせたい。それを直接に天が行うことはできないので、まず天子を立てて代行させている。また天子一人では、その仕事を行うことはできないので諸侯(大名)にその業務を代行させている。役人も同様であり、結局はすべて民(国民)のために天が自らの役目を天子以下に代行させているのだと説明している。

また、民(国民)の意思は天の意思であるとも言っている。そういった意味では、西郷の考えは現代民主主義の主権在民の考え方であり、さらにその上に、民主主義で前面に出がちなエゴを少なくし一人ひとりが人としての道を生きてほしいということである。『遺訓』に「廟堂に立ちて大政を為すは天道を行ふもの」ともあるので、ここでは皇道を天道と解釈した方が良いと思う。
「道は天地自然の物なれば、西洋と雖も決して別無し」と言っている。この詩をあらためて読むと西郷がいかに雄大な考え方をしていたかが分かってくる。天の思想を人の道を世界に広めようと言うのである。西洋、東洋と人種は関係ない。人類全体に人の道を及ぼそうというのである。この西郷の突き抜けたような考え方は、他の幕末明治の志士にないものである。多くの人が西郷を理解しがたいとし、理解したとしてもその人のレベルで理解しているだけで、全体をつかみにくいというのは、当時このような考えを持っていたからである。

万物は生成発展を繰り返し、地球を含む大宇宙もまた生成発展している。それは瞬時といえど止まることなく、発展し変化している。西郷が沖永良部島に流されたときは、風待ちをして帆を張って走る船であったが、赦免され帰るときは蒸気船であった。
このように人間の科学技術の進歩はめまぐるしく数千里離れたところにいる欧米人が隣にいる人のようであると西郷は言っている。
今日、イギリス、フランス、アメリカまで飛行機で十何時間である。人間の科学技術は日進月歩で進み、そのスピードはだんだん速まっている。人は月に行き宇宙ステーションをつくり、原子力を利用し、パソコン、携帯電話を開発するなどその進歩はとどまるところがない。科学技術は驚異的な発展を遂げたが、一方では西郷のいう文明(道のあまねく行はるるを賛称せる言)はあまり進歩していない。
人類は第一次、第二次の世界大戦を繰り返して教訓としたはずであるが、いまだに戦争と紛争は終わることがない。今でも地球上には何億人もの飢餓状態の人がいるが、これらを放置したかのごとく、世界は何ら有効な手段を打てないでいる。資本主義・物質主義の悪い面が多く現れ、自分さえよければというエゴが少しずつ住みつき増殖してきている。

西郷は四海同胞という言葉を用いている。江戸時代の日本にあった二百六十一藩はそれぞれ独立国であった。明治になり一つの国となることで日本人という同胞となった。それと同様に四海を隔てているとはいえ、天の目から見れば世界の国々の人も同じ人間であり人類である。日本人は同胞であるが万国の民も同胞であると言っている。そして日本人が道を行い、日本国が道を行う国となり、それを世界各国の国民に敷き及ぼせと命令している。それぐらいの気塊を感じる西郷の詩である。現在の地球上を見てみると、独立したそれぞれの国だけでは解決できないことが増えている。それは超大国といわれるアメリカについてもあてはまる。局地戦争・紛争、温暖化による環境問題、南北問題、食糧問題、エネルギー問題と世界規模の対策がなければ、とても解決できる問題ではない。人類はそのときどきの時代の必要に応じて、国家や組織の統合と分離を繰り返してきた。今、世界の大きな流れを見るとき、統合に向って進んでいるのではないだろうか。

現に小さな分離独立はあるが、それは流れにまかせ、分離独立すべきはどんどん分離独立させてしまう。そして大きな流れは、日本で廃藩置県があり一挙に藩(国)がなくなったように、百年後、三百年後かわからないが世界にある国家が「廃国置県」となり、世界が一つの国家となることが自然の流れのように思える。戦争や環境問題といった地球規模の問題は、そうでもならなければ解決できない。それは全くできないことではない。すでにヨーロツパ連合(EU)が存在している。
人類は解決策を模索している。アメリカがアメリカ県となり、中国が中国県、ロシアがロシア県となり、世界三百力国すべて地方(県)となる。それが西郷の言う「四海同胞の意」とは言えないだろうか。

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