第五章 西郷と政治
政治は誰のために行うのか
こう問われたら、西郷であれば即座に「国民のためである」と答えるだろう。現在の日本は主権在民、国民主権である。
政治家は主権者である国民一人ひとりの主権の代行者として存在している。日常生活に追われている普通の一般の国民は、政治や国のことをほとんど考える時間がなく、国の経営まで頭がまわらない。だから政治家に国の経営を委託し、業務を代行させているのである。いわば日本の命運を政治家にゆだね、大げさに言えば自らの命を預けていることになる。政治家とはそれほど重大な仕事である。
ゆえに西郷は、その行動が地位や名誉のためであってはならず、ましてや金のためであってはならないと言っている。政治とは、直接に国家の盛衰にかかわり、国民の幸不幸を左右する重要な仕事である。古来、その時代その国に人(政治家)を得るか否かで国家の存亡が決まるともいわれている。
しかしながら、日本のような民主主義の国であっても政治家には権力が集まり、そしてその権力を行使できる仕組みになっている。政治家というものが、地位も名誉もあれば、金も集まりひとつの財産として子々孫々に受け継がせたいものと、政治家自身が思ってはいないだろうか。現在の世界を見ても、十八世紀十九世紀の封建時代や帝国主義の時代ではないかと思えるほどの独裁体制をとっている国も現実にある。国家というものではなく、独裁者一家が国の様相を形づくっているだけで、そして国民はまさに一家の下僕と化している国もある。
主権在民という民主主義の日本ではあるが、 一人ひとりの国民が面倒なようでも主婦 権在民の意識を持ち、政治家に主権の執行を代行させているのだという自覚がなければ、愚民政治に流される可能性がある。結局はその国の国民のレベルに応じての政治となる。政治というものは権力の行使を伴う。国民が政治家にその行使を委ねて、かえって国民が苦しめられる場合もある。それゆえ政治を行う者はかくあるべきだと、その心構えを西郷は『遺訓』で述べている。「廟堂に立ちて大政を為すは天道を行ふものなれば、些とも私を挟みては済まぬもの也。いかにも心を公平に操り、正道を踏み、広く賢人を選挙し、能く其職に任ふる人を挙げて政柄を執らしむるは、即ち天意也。夫れゆえ真に賢人と認むる以上は直に我が職を譲る程ならでは叶はぬものぞ。故に何程国家に勲労有り共、其職に任へぬ人を官職を以て賞するは善からぬことの第一也。官は其人を選びて之を授け、功有る者には俸禄を以て賞し、之を愛し置くものぞと申さるるに付、然らば尚書仲及之詰に『徳慾んなるは官を慾んにし、功愁んなるは賞を愁んにす』と之れ有り、徳と官と相配し、功と賞と相対するは此の義にて候ひしやと請問せしに、翁欣然として、其通りぞと申されき」『遺訓』一項)
(政府にあって国のまつりごとをするということは、天地自然の道を行うことであるから、たとえわずかであっても私心をさしはさんではならない。だからどんなことがあっても心を公平に堅く持ち、正しい道を踏み、広く賢明な人を選んで、その職務に忠実にたえることのできる人に政権をとらせることこそ天意である。だからほんとうに賢明で適任だと認める人がいたら、すぐにでも自分の職を譲るくらいでなくてはいけない。従ってどんなに国に功績があっても、その職務に不適任な人に官職を与えてほめるのはよくないことの第一である。官職というものはその人をよく選んで授けるべきで、功績のある人には俸給を与えて賞し、これを愛しおくのがよい、と翁が申されるので、それでは尚書〈中国の最も古い経典、書経〉仲旭〈殷の湯王の賢相〉の詰(官吏を任命する辞令書)の中に「徳の高いものには官位を上げ、功績の多いものには褒賞を厚くする」というのがありますが、徳と官職とを適切に配合し功績と褒賞とがうまく対応するというのはこの意味でしようかと尋ねたところ、翁はたいへん喜ばれて、まったくその通りだと答えられた)
西郷のこの言葉を見ると大久保や岩倉や木戸、山県、大隈といった明治政府の中枢の人たちが正常であり西郷は異常である。権力は闘争と権謀術数で手に入れるもので、いったん握った権力や権限は放さない。己のスタンスで政治は行うべきで、多少の役得は当然のことである。それなりの地位と名誉と報酬は当たり前で、税は取れる者から取れるだけ取っておく。これが普通である、とするのが大久保や岩倉の考えであれば、西郷の考え方は普通では持ち得ない考え方になり異常であろう。大久保、岩倉、木戸らの人間は、日本史の中でも世界史の中でも類型がある人物である。政治を天道を行ふもの、正道を踏むと考える人は現代の日本でも世界でもいない。政治に対する考え方が明らかにほかの人たちとは違っており、自分をどう処理したらよいか、政権内で独り浮き上がって悶々としていた西郷の様子が目に浮かぶようである。