2024年エール4月号 早川幹夫×タックW・阿部氏対談
全文掲載
道義主義の会・春の対談
黒澤映画に見る「義」のあり方、正しい人間のあり方
タックW・阿部 映画プロデューサー
1953年新潟生まれ。本名阿部丈之。カメラマンとして日本において多くの作品に参加した後、渡米。
カメラマン、コーディネーター、プロデューサーとしてアメリカで映画、TVコマーシャル、番組制作に携わる。黒澤エンタープライゼスUSAの代表として黒澤明監督のマネージメント、製作協力、配給サポート、契約交渉、版権管理を務める。現在は日本で活躍中。近著に『高倉健と黒澤映画の「影武者」と呼ばれて』
早川幹夫 日本道義主義の会会長
日本道義主義の会会長。1948年鹿児島県奄美大島生まれ。拓殖大学卒。琉球大学文部事務官に就職。その後沖縄・東京で人材派遣会社を起業し、現在に至る。西郷隆盛の生き方に感銘を受け、混迷する現在の世界の政治と経済に道義主義を唱える。著書に「一箇の大丈夫 西郷吉之助」「道義国家を目指した西郷吉之助」「始末に困る人 西郷吉之助」などがある。
黒澤映画は人間のあり方を問いただす映画だった

私はアメリカの黒澤エンタープライズUSAで長い間マネージメントをしていました。そこではアメリカ映画や黒澤映画のプロデュースをしていました。映画放映権の収益が大きく、当時の取引額は今でも日本一です。エンタープライズUSAを通してコマーシャルなども手がけました。リチャード・ギア、フランシス・コップラなどハリウッドのミリオンダラー・アクターの方々に日本のコマーシャルに出演してもらったり、ジョージ・ルーカスなどの出演交渉もしました。
やはり黒澤の名前は大きく、信用度が違ったと思います。交渉に行くと素直に受け入れられました。
黒澤映画は人間の在り方を描いています。映画を見ると黒澤監督は「素直でありなさい」、「正しい人間でありなさい」と言っているように思います。誰が正しいのかということ。「羅生門」にしてもみんな正しいけど、ごまかしもあります。生きていく上で。正しい在り方というのを問いただす映画です。
「七人の侍」でも百姓も侍も生きていく葛藤の中で、勝つのは百姓です。人間だからずるいのはどこにもあります。百姓でも、菊千代のように正しいのは侍だ。侍になっていこうというのもありますが、戦いの中では百姓の持ち味で戦っている。
最後の黒澤監督の作品は「まあだだよ」という、内田百閒先生が子どもたちに対して教えていく映画です。生徒たちは先生をリスペクトして、フォローしていく。そういう人間の在り方を描いています。
私は早川さんと知り合い、道義の会の勉強会に参加して、やっぱり人が思っているのは正しい人間になろうということだなと思いました。
私は今「奄美のティダ」という映画を開発中なのですが、犯罪を起こすような子どもたちでも本当は素直なんです。大人たちや教育の在り方が彼らをいじけさせたり、曲がった方向に持っていってしまう。そういう中で、外れていった子どもたちを救う術が今ひとつ足りないですよね。「奄美のティダ」がメッセージになれば子どもたちを勇気づける。学校の勉強だけが教育じゃないとわかります。
それを早川さんに会い、西郷隆盛の教えから学ぶものがあって、気付かされました。それは黒澤明や私が最後まで交流していた俳優の高倉健が年老いていく中で、追求している在り方だったと気付かされました。

最初に阿部さんと電話でお話した時に、この人はいい人だなとわかりました。ある程度年齢が重なると、その人の言葉や顔つきに、思想や哲学とかが表れると思う。そういうのを見て、阿部さんはできあがっている人だと思いました。
「ティダ」は私が住む沖縄では太陽のことを言います

私が日本に戻ってきて、「奄美のティダ」という映画の開発を進める中で、日本の良さが今世界中から見直されていると感じます。
「義を見てせざるは勇なきなり」と行動する

私は黒澤明監督の映画で何回も見たのは「用心棒」です。今でも思い出すのは、三船敏郎が、居酒屋に行った時に、街の大きな勢力の、仲代達矢がいるヤクザ組織から刀を取られて、ボコボコにされ居酒屋の主人が助けました。その負傷を癒している時、枯葉が窓から床に落ちるのを出刃包丁でバシッとあてる。あれは訓練だと参考にしています。
「椿三十郎」では義のために手助けする。藩の不正に対抗する若侍の一団に加勢する。やっぱり人間の中で、ここは見過ごすわけにはいかないというのが出てくる。
「七人の侍」もそう。野武士を義を持って助けてやろうという7人が集まった。義のために命を捨てるぐらいの思いで戦う。
その時に、これをやったら仕返しされたり、そこまでやる必要はないと、ためらう瞬間がいっぱい出てくる。
本音は助けないといけないと思っても、そこまで自分を犠牲にする必要はあるのかという思いが働き、見て見ぬふりしようというのがある。そこを「義を見てせざるは勇なきなり」と行動を起こすのです。
私は以前琉球大の仕事を辞めて、弁当屋に住み込みで働きました。3時過ぎに起き、近くの市場に買い物に行って、大きな釜に米を炊くのを終え、ちょっと休憩しようとした時、二階の窓の外から喧嘩の声がする。見たら体の大きい人と小さい人が殴り合いをしていた。体の大きな人が鼻から血を出している。
私は直感で、嫌なものを見てしまったと思ったんです。そのうち、体の大きい人が、ブロックを持って小さい人の上に馬乗りになっている。その時に私の頭の中に「義を見てせざるは勇なきなり」という言葉が浮かびました。これは試されていると。
司馬遼太郎の「龍馬はゆく」で、一本の路地の描写がありました。向こうから新撰組が隊列を作って来る。龍馬がすれちがわざるを得ない時、塀の上の猫を抱き上げて頬擦りしながら新撰組の横を通った。
「その手法を使おう」と、私は弁当屋の空いた段ボール箱を持って、その大きな人に近づいて、思いきり頭に投げつけ、さっと逃げた。そして、その辺をウロウロして戻ったら、周りには人が戻って喧嘩は終わっていた。
これを見過ごしたら、早川は口先だけかと、一生後悔すると思った。どんなことを言っても嘘っぱちになる気がした。「義を見てせざるは勇なきなり」という言葉が頭にあるので、龍馬のやり方を真似て気勢を削ぐ方法をとりました。

仲介に行くのは怖いですよね。狙われてしまうかもしれないし。瞬時に気勢を削ぐのもすごいですね。僕は逃げてしまいます

私も嫌なものをみてしまったなと。でもその後に、「西郷隆盛だ、ああだこうだ」と言うのが全部嘘になってしまう。死ぬまで後悔してしまう。だから気勢を削ごうと。こういうのが何回もあったら困ってしまいますけどね(笑)。

僕だったら見て見ぬふりをしてしまうと思う。アメリカはドライに思われがちですが、正しいことを主張する人は多いと思います。大柄な黒人に、華奢な女性が歯向かう。そういう正しいことを行う文化はあると思います。

道義は世界共通ということですね。よちよち歩きの子どもが崖から落ちそうになる時は、どんな悪人でも助ける。それは孟子も言っています。
道義とは何かというと、良心の実践です。良心は、心の中で何が善であるか、悪であるかを教え、善を勧め、悪を退ける心の道徳意識です。
自由主義と民主主義もいいけど、道義主義という人の道が大切。イスラエルとハマスの戦争などは悪、善と関係なく、人間が虫ケラのように死んでいく。
誰も「義」を発しない。人間という動物は愚かです。

文明が進んでもっと良くなると思って成長しましたが、それが逆に今は身近なところに戦争がある。すぐそこに第三次世界大戦があるという恐怖がありますよね。

権力者の欲です。「足るを知る」。これでやめようと自分の内面との戦いをしないで、人からどう見られるかとか、外見的なものに関わりを持ちすぎた。プーチン大統領なんて、私のような人間から見ると、顔に人となりが表れている。
見透かされている。プーチンのために多くの人が死んでいいのか。ヒットラーもそうですが、一人のために、あれだけの犠牲が出ていいのか。一人の人に権力が集中してしまうと、いかにも権力者みたいな錯覚を起こす。

庶民は大きな変化をもたらしそうな人に期待してしまう。アメリカではトランプは何か変化を起こせる人かと…。

ヒットラーもそう。大衆を利用した。飛行機が珍しい時代に、ヒットラーは空から舞い降りて人々を圧倒した。だから一般大衆が賢くなるべきです。強さと考え方の大きさをもたないと、一掴みされてしまう。
選挙は登用される人に対して立ち位置が平等でないといけないですよ。自分たちは日々の仕事があるから、政治のことはあなたに代行させているんだよという意識がないとヒットラーみたいな人がでる。一般大衆がしっかりしないとダメですよ。
庶民と政治家は立ち位置が平等であるべき

そういう賢い人が少ないんです。日本でも60年代に反政府運動がありましたが、今はリーダーが少ないですね。政治家以外にビートルズのように音楽で平和を訴えたり。そういうのを若者が学んで、政治に抗議できた。今は歌の世界でもボブディランみたいに人を引っ張れる人がいない。

大衆が落ち着いてしまうのが、政治家の思うツボ。いつの時代も一人のヒットラーに惑わされてしまう。自分の代わりに政治を任せてやるよという気持ち。そういう気概と意識と知的レベルを持たないと。

アメリカに行く前はアニメーションのカメラマンでしたが、年功序列で、先輩の分も徹夜して頑張るような感じの日々でした。それが嫌で、片道切符でアメリカに行きました。一時期は髪が金髪だったら良かったとか。英語ベラベラに喋れたら良かったとかアメリカ人に嫉妬する時期もあった。でも日本の良さがだんだんわかってきました。
日本人であることに誇りを持てるようになりました。
30代ぐらいに映画関係、コマーシャル関係の日本人がハリウッドに押し寄せてきました。当時、空手とか武道。ブルースリーが亡くなった後に空手ブームが来て、千葉真一の映画は人気がありました。高倉健さんも「ヤクザ」という映画で命をかけて人を救う。それがヒットしました。
以前郷里の題材で「瞽ご女ぜ」という映画をプロデュースしました。私の郷里の新潟で活躍されていた瞽女の方々で、最後の瞽女・小林ハルさんを題材にした映画です。好評で今も定期的に上映イベントをしています。
その時の監督に次の作品も一緒にやろうと声をかけていただきました。それが「奄美のティダ」という映画で開発して4年目になります。
奄美の保護司の三浦一広という方の話です。島一貧乏な家庭で生まれて、一時はグレましたが、だからこそグレる子どもたちの気持ちが分かると、教育の在り方、大人の子どもに対する対応の仕方に警鐘を鳴らしています。
彼は東京に出て、警備会社に勤めながら空手の有段者になって、島に戻って道場を開きました。彼は消防団でレスキュー隊の隊長。巡回している時に会う、町でうろうろしている青少年を正そうと、ラーメン屋に連れていって食べさせたり、保護司として受け入れて、武道を通して、真っ直ぐな道に導きます。最終的には保護施設を建てて、子どもたちが非行に走っても正して
いける道筋を彼なりのやり方で頑張ってきた。 その話を聞いて、次は「瞽女」のように残る映画を作りたい。黒澤監督のように何十年経ってもみんなに勇気を与えられる映画が必要だと思いました。
子どもたちに勇気を与え、救わなければいけない。そのためには親も教育しなければいけない。全ての人たちのメッセージになる映画にしたいです。どんなに時代が変わっても、人間の持つ性格や人間性は変わらないのです。
世間から弾かれる子どもや、子どもを育てたくても育てられない親はこの先もいます。そういう人にもメッセージになる映画を作ります。
これから撮影になりますし、資金集めもしなければなりません。

社会の現状や現実を見ると、自由主義思想と民主主義思想ではにっちもさっちもいかなくなっている。そこにはやっぱり人の道という道義主義という概念を持った思想が必要だなと思っています。道義主義の上に立った民主主義、自由主義。3つあると、三脚みたいに倒れない。今の人類が欠落している道義主義を普及させなければいけないのです。

自分はまだまだ勉強しなければいけない年です。先人たちの正しき姿を見せていただいたので、上手に年をとっていく上でも正しい在り方を学んでいます。
日本道義主義の会の早川さんからはそこを見せられている気がします。私にとってとても素晴らしい存在です。