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新春対談
早川幹夫
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内野経一郎
一つの価値を見出したら
それに向かって突き進む人生
85歳のえ在も弁護士として活躍する内野経一郎さんは自ら狂人と言うほど日本が好き。一方、西郷隆盛の生き方を学んで日本を道義主義の国家にしたいと願う早川会長。この二人の対談で「価値努力」という言葉に共嗚し合った。
内野経一郎
昭和11年鹿児島生まれ。中央大学大学院修士課程修了。昭和40年弁護士登録後、前田知克法律事務所勤務。翌年藤田―伯弁護士と共に東京第一法律事務所開設著書に「実践マンション法入門」「法律事務所事務職員マニュアル 秘書業務・事務所運営篇」「父が子に語る 町弁の弁護士心得」など多数。
早川幹夫
日本道義主義の会会長。昭和23年鹿児島県奄美大島生まれ。拓殖大学卒。琉球大学文部事務官に就職。その後沖縄。東京で人材派遣会社を起業し、現在に至る。西郷隆盛の生き方に感銘を受け、混迷する現在の世界の政治と経済に道義主義を唱える。著書に「―箇の大丈夫西郷吉之助」「道義国家を目指した西郷吉之助」「始末に困る人 西郷吉之助」などがある。
日本人なら愛郷、愛国の情を持つよう教育してほしい

私が内野先生と知り合ったのはつい最近のことです。4〜5年前から年賀状や暑中お見舞いをいただいていたのですが、面識もありませんでした。ところが今回いただいた暑中お見舞いの最後に「愛国 狂人 辮護士 内野経一郎」と書いてあったんです。それを見てすごい人だと衝撃を受けました。
どういう人かお会いしたいと事務所に電話したり、携帯電話の番号を教えていただいたりしたのですが、その時は会えず、次に沖縄から東京に来た時にやつとお尋ねしてお会いすることができました。

私は公益社団法人三州倶楽部(薩摩。大隅o日向の出身者とその縁者の集まり)の会員で、会員の方々に年賀状や暑中お見舞いを出していました。お目にはかかっていませんが、早川さんも三州倶楽部の会員でしたから出していたんです。私も知らない人には出しません(笑)。「狂人」というのはきちがいです。日本が大好きで、大好きで「狂人」と書きました。日本人なら愛郷、愛国の情を持てというふうに教育基本法が改正されています。
私は鹿児島生まれの宮崎育ちで、故郷が大好きです。
母は私を叱る時「西郷さんはそえこたしやらじやつた」と言い、西郷さんのなさらないことはしてはいけないことでした。子ども同士の喧嘩で絶対勝つ方法があって、「西郷さんはそんなこといいなさらんかった」と言うんです。言われた方が負けなんです。そういう教育をしてくれたのが鹿児島です。弁護士になつて、学生運動の過激派の弁護を任されていました。しかしあるとき林房雄の「大東亜戦争肯定論」を読み、その後、田中正明先生の「パール判事の日本無罪論」を読みました。その辺から、「おつ―」つて思うようになったんです。それで、日本会議の講演会も聴きに行って、だんだん保守に取り込まれていきました。
小林隆さんという奇人変人ともいえる人がいて、古事記のお芝居をするというので、私の田舎は宮崎だけど古事記のことを知らないから素人芝居で知ろうと付き合っていました。そしたら彼は天皇、天皇とばかり言うんですよ。憲法第一条に「天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」とあります。私は中央大学在学中に憲法を教わりましたが、天皇の「て」の字も教えてくれなかった。私は天皇狂の小林さんから天皇のことを勉強するうちに、なんだ日本はこんないい国なんだなという気持ちが昂まってとうとう「狂人」になつたんです。
日本人とはこういう風に生きるものだ、尊敬されるような日本人とはこう生きるものだという、勉強が進むに従って、日本はタダの国じゃないと思うようになりました。子どもの時に幸せだった鹿児島、宮崎の素敵な懐かしい思い出が現実化してくるわけです。こんないい国と思いながらも、仕事が弁護士だから、人殺しもいれば、詐欺師もいるわけで、嫌な思いもいっぱいします。でも、こんな人が世の中にいるのかと、惚れ惚れする生き方の人がいっぱいます。
そのうちに日本がだんだん好きになってきて、今は狂人の一味になってしまったということです(笑)。
西郷隆盛を勉強し死の恐怖をぬぐい去る

先生とは接点がありますね。
林房雄さんです。「西郷隆盛」を書いた人で、私は学生時代、月に一回しか授業に出てなかったんです。パチンコ三昧の不規則な生活をしていました。ある大みそかに友人と食事をしていて、心臓が日から飛び出るような痛みで救急車で運ばれ、入院。それ以来、心臓弁膜症を患っていました。常に死の恐怖にさいなまれていましたが、授業で労働法の教授が、西郷隆盛の死生観と言う言葉を使ったのです。砂漠でオアシスを見つけたような気持ちになりました。それですぐに図書館に行って、最初に読んだのが林房雄の「西郷隆盛」でした。それまで歴史の中では西郷隆盛を知っていましたが、初めて西郷隆盛はすごいと思いました。
死の恐怖感を拭い去りたいというのが一番ですが、次に死の恐怖感とはどういうものなのだろうと、遺訓集も読みました。どういう勉強をしたら、西郷隆盛みたいになるのか、西郷隆盛の南州翁遺訓を暗記するぐらい読みました。

林房雄の著作に「西郷隆盛」があるのですか。

「西郷隆盛」は22巻ありますよ。林房雄の著作のメインだと思っています。あとは海音寺潮五郎が書いた「西郷隆盛」ですね。海音寺潮五郎は鹿児島の人で、西郷隆盛がこのままだと後世に誤って伝えられる、これじやいかんというわけで書きましたが、幕末まで書いたところで、病気で亡くなってしまったんです。一般的には明治までの西郷隆盛は史実通りですが、明治以降は西郷隆盛はうつ病になったなどと言われていました。海音寺潮五郎が生きていたら、きちつと最後まで書いていただろうなと残念です。

西郷きちがいになって、死の恐怖から解放されて、しかも病気も治ったんですね。

その後も心臓弁膜症を抱えて生活していましたが、4年前に私の弟が「心臓病、弁膜症」をインターネットで調べたら、杉並区にある病院がヒットして、手術成功率が99・6%と書かれていたので、そこで手術しました。今は2ヶ月に一度くらい通っていますが、上手とか下手ではなくて成功率に惹かれました。ほかの病院では成功率97・98%といわれていました。

実は鹿児島というところは、きちがいが出るところです。西日本新聞の名刺広告仲間で三州倶楽部会員の下福裕三さんに教わったことですが、下福さんは難病で苦しみ、中村天風の「運命を拓く」という本を読んだそうです。中村天風がインドで修行して、もういつ死んでもおかしくないという結核が治つたと。それで生身の修行の代わりに中村天風の「積極的姿勢」の言葉に惚れ込んでボロボロになるまで読んだそうです。たんに本を読んだだけじゃなくて、それによって明日をも知れない難病が治ったそうです。心を鍛えたんですね。早川さんも林房雄の「西郷隆盛」を読み込むことによつて生身の修行の代わりに本で修行して心を鍛えて心臓が治ったんだろうと思います。心を一極集中させると不思議なことに病気が治るんですよね。やっぱり現代医学で知らないことはいっぱいあります。治るはずのない病気が精神力で治ったりする。
弁護士は弱い立場の人の味方となる

先生は体の病気は医者、人間関係の病気は弁護士が治すと言っていますが、人間関係を正常にするやり方を貫いてきたんですか?

それで飯を喰って来ました。三州倶楽部の会員に教えていただいたのです。人と人がうまくいかないときに何とかするのが弁護士ですから。社会の潤滑油が弁護士と昔言われていましたがそんなに簡単じゃないです。両方が喧嘩してるところに真ん中から入って、依頼者から押され、相手から押され、両方から締められて、心労に心労を重ねて、ひょっとして弁護士はボールベアリングじやないかと思います。
辛抱しないといけないです。両方からギイギイ言われても世の中が回るようにするのが弁護士。
弁護士は弱い者の味方という基本があります。そうでもありましようが正確に言えば弱い立場の方の味方だと思っています。世間的には偉い人でも、失敗すると袋叩きにあう。そういう時に、その人の立場に立って弁護する。弱い立場になった人の心に寄り添うのが弁護士じゃないかと思います。峯村光郎慶応大学教授が中央大学に来て法哲学を教えていたのですが、その先生の最終講義は、「これでみなさんは社会に出て行く。社会に出た時に法哲学を勉強したことをすっかり忘れ、私のことも忘れていい。ただ世界中の人が全員敵だと思うような困難な立場になった時は、ただ一人だけ味方がいることを思い出してください。私は常にあなたたちの味方として、駆けつける気持ちがあります」と。その時は法哲学の難しい話をしてくれると思ったのに、最終講義はそれかと思ったけれど、今思うと弁護士とはそういうものです。世界中がみんな敵になった時に人間の尊厳を保つためには、一人だけは味方がいないといけない。極悪非道の殺人犯でも弁護しなきゃいけないのはそういうことなんです。ましてや弱い立場になった時に、その人の気持ちになつて全部受け入れて、その人のために働くのが弁護士。
峯村教授の教え子として、恥じない生き方をしないといけない、というのがありますね。
しかし、精神論も大事ですが、もっと大事なのは技術がなきゃ何もできない。心に寄り添っても、依頼者を死なせてしまつたら、弁護士として仕事を果たせていないですよ。僕が弁護した人に、「私死ぬことに決めました」という人がいて「お前死ぬなよ」と励ましたら「先生死のうと思っていたけど、女房のことが気になってちゃんとしてやらないと死にきれない」と言ってくれました、でもその後、その方の弟から連絡があって、「先生、兄貴が死にました。先生のことを信頼していたから、来てくれませんか」と言われ、八丈島まで葬儀に行きました。彼のお葬式がどうだったかは覚えていないけれど、寒い時なのに、ひだまりのアロエが大きかった印象が残っています。
如何に信頼を得ても依頼者が絶望して死んでしまうような半端な腕じゃダメです。ちゃんと生かして、社会に活かさないといけない。人を生かす技術があって強くなきゃ助けられないんです。弁護士が技術を持つてないと絶望してうつ病を発症したり人が死んだりします。政治家も技術がないと国民全部が死ぬんです。

技術は非常に大切だと思います。私が心臓手術をしてもらつたところも技術第一主義。技術なき者は去れと徹底して技術を磨いていたからこそ、私も手術して14日で退院しました。

人間の社会も勉強しないと飯が喰えないですよ。飯を喰おうと思ったら技術を磨かないと。役に立ってナンボです。銭にならないのを一生懸命やると貧乏が募りますし、銭が儲かるように率のいい仕事だけしていると、世間の人は見透かします。どんなに小さいことでも、赤字の仕事でも馬鹿になってやると、たまにご褒美がもらえるんですよね。世間はうまくできています。

私が電話した時に、会ったこともない私に「僕が何かお役に立つことできますか」と言ってくれたのが印象に残っています。

鹿児島生まれは誇り高いですからね。三州倶楽部には昭和43年に入会させてもらつて、郷土の先輩方に鋭い考察と、愛情のある教えを受けて参りました。郷中教育の大人版だと思ってますよ。郷中再教育組織のようなものかもしれません。
郷中教育は子ども同士で、上の子が下の子に教えるという鹿児島の教えです。。大人の郷中教育だから、大人を育てようというそんな倶楽部です。

出会いというのは大切だと思います。私もパチンコしなければ林房雄なんて知らないし、西郷隆盛に入り込むことはなかった。
一寸先は間でありますが、そこを遮二無二やっていると開ける場合があるんだなという気になりました。
一見閉ざされているようだけど、それを考えずに進んでいると、ぱっとつながってくる。そういう意味で、人生は味があるなと思いますね。内野弁護士は林房雄の「大東亜戦争肯定論」を読まれ、私は「西郷隆盛」を読んでつな力りました。

命が惜しくてどうすればいいか。それで西郷隆盛に惚れ込んで勉強して、集中することで、怖がらなくなって、健康になったんですね。

やっぱり心臓病であっても、心臓とも同居しないといけない。私が死んだら、心臓も死ぬわけで、あえて薬を飲まなかつたり、わざと行動を起こすなど、「心臓」を悪いなりに鍛えていました。

価値努力ですね。峯村先生のお言葉で、これは値打ちがあると思ったことを真剣にやることで、早川さんみたいに健康になるし、中村天風にしたってそうです。そういう人の人生は惚れ惚れとしていますね。

「価値努力」。いい言葉ですね。

大坪秀二という武蔵中高の校長先生がいました。権力闘争で引っ張り下ろされましたが生徒のために教師を全うされた。東大の数学科を出たのに、中学。高校の先生になって中学入学の時の一学年180人の生徒を毎年教えた。そして全学の子どもと親の名前まで全部頭に入れ、お母さんが、先生うちの子がというと、大坪秀二は生徒の成績も全部知っているので、こうしたらどうですかと親の指導もする。武蔵学園という一つの価値、このために自分の人生を使おうと思ったら、それをきちがいになってやり尽くされました。

今日は「価値努力」という言葉を学ばせていただき、ありがとうございました。