第一章 仕末に困る人
常人の尺度では計れない人物
一八六四年(元治元年)九月ごろ、西郷と会った勝海舟が西郷の人物をしきりにほめるので、弟子の坂本竜馬が自分も会って見たいということで勝海舟の紹介状をもって西郷に会いに行った。そのときのエピソードが『氷川清話』(勝海舟語録)に記されている。竜馬は西郷を評して「なるほど西郷というやつは、わからぬやつだ。少しくたたけば少しく響き、大きくたたけば大きく響く。もしばかなら大きなばかで、利口なら大きな利口だろう」と語った。それを聞いた海舟は「評される人も評される人、評する人も評する人」と言って感嘆したという。
西郷と大久保を主人公とした著作『翔ぶが如く』の中で、司馬遼太郎氏は「西郷という、この作家にとってきわめて描くことの困難な人物を理解するには、西郷にじかに会う以外になさそうにおもえる。われわれは他者を理解しようとする場合、その人に会ったほうがいいというようなことは、まず必要ない。が、唯一といっていい例外は、この西郷という人物である」と書いている。
また氏は「人間の尺度の場合、度量衡よりもはるかに複雑で、というより、言語というものは、その人間から出て他の人間と語られる場合、語り手の中にある情景も論理とはよほど別なものとして聞き手に受け取られることがむしろ普通である。とくに西郷のように度量衡のメモリがどうやら他の者とずいぶんちがっている男の場合、彼が言うことも行うことも、同時代人にも後世人にも、まったく別なメモリでもって量られるのが普通であり、西郷が基本的に悲劇的な存在であるというのはそういうところにあった」と述べている。
西郷とじかに会った坂本竜馬も「馬鹿なのか利口なのか量りがたい」と評し、有名な国民的歴史作家である司馬遼太郎氏をしても会わないとわからないと言わしめている。また一方では、「西郷さん、西郷さん」と言って尊敬したり恐れたり騒いでいるが、馬鹿で無能だと、かの大隈重信は西郷のことを本当にそう思っていたと伝えられている。どだい他人の評価など正確ではなく、当てにはならないものである。またそういうものである。西郷は若者と接するのが好きであった。西郷のまわりには、人斬り半次郎といわれた中村半次郎や篠原国幹、村田新八といった剰惇な薩摩兵児が師父を慕うごとくまとわりついていた。
西郷なら現代の若者にこう言っただろう。「人の評価や世間体などいっさい気にするな。それよりは多くの本を読んで、自分のなんたるかを見つけなさい。世界に独り(一人)しか存在しない自分である。自分をもっと大切にして向上発展させなさい。そして自分を強くたくましく磨いて、他人の評価や世間の評価に左右されない強い自分を作り上げなさい」と。
西郷自身も島津斉彬に見出され、秘書官として中央政界でデビューさせられたため、先輩同僚から嫉妬の対象となり、あらぬ雑言や誹謗中傷を受け、ずいぶん悩んだこともある。他人や世間から、ほめられたり、けなされたりすることは、月が欠けたり満ちたりするのと似ている。満ちたり欠けたりするのは月ではなく地球の影となって、そう見えるだけだ。もともとの月の姿は丸いままで変わってはいない。影でそう見えるだけである、という意味の漢詩を西郷は書いている。
月のように自分自身は変わってはいないのである。影で一喜一憂すべきではない。
人は自分のもつ物差しで、他人を計ろうとし、計ってしまう。しかも自分の力量の長さしかない長さの物差しで、他人の力量をおかまいなしに計ってしまう。それでは千差万別の見方になってくるのは当たり前である。他人のスケールで計られることを気にするな、自分のスケールを長く大きくせよと西郷は言いたいのではないか。