西郷党BLOG

仕末に困る人 西郷吉之助 2p011-第一章_09

仕末に困る人西郷吉之助

第一章 仕末に困る人

自分と他人を比較しない生き方

人間は自分以外の人間を区別して生きている。そして自分と他人を比較する相対の中で生きている。頭が良い悪い、背が高い低い、顔が良い悪い、金持ちである貧乏である、地位があるない、出世した出世しない、とか。比較されっばなしの相対の中で子供のときから生かされている。子供のときでもクラスの金持ちの家に遊びに行くと、素直に「いいなぁ」と思い、無理でも友達になりたがったものである。クラス一番の勉強ができる子と友達になったら、友達になれたことが自慢であり、自分も頭がよくなった気分になったものである。生まれた環境は何も子供のせいではないが、ついつい自分の環境と比較してしまい、また子供心にも勉強ができない子は頭が悪いと思い馬鹿にしてしまう。男子の場合も喧嘩が強い弱いで支配者と非支配者の関係がその場で出来てしまう。子も親も家庭も物質的比較の中で生活している。

坂本竜馬は少年期のころ、泣き虫で鼻をたれ、寝小便が治らなかったうえ、勉強もできなかった」それは成長過程の個人差によるが)。朋輩から馬鹿にされ、頭が悪いということが劣等感になり、幕末動乱期に海援隊を組織し薩長同盟を締結させ「風雲の中で天を駆ける」と言われたときでも、その劣等感は抜けなかったという。人間は環境に左右される動物である。頭が悪いといったん張られたレツテルはなかなかはがしにくい。当たり前といえば当たり前のことであるが、人間はどうしても外見の目に見える物質の優劣で人を評価する。また評価される。ビジネス成功者であるとか、セレブであるとか、高学歴であるとかいった目に見えるもの、あるいは評価がしやすい話題に目がついつい向いてしまう。人生の目的目標も、そうであるように思えてくる。西郷は、そうではなく人間が本来目指すべき一生の目的は、自分自身を「人として成長させること」そこにあると考えた。

地位を得るということや、金持ちになるということは目的ではなく「人として成長させる」ための手段・目標(仕事)でなければならないと考えた。人間の一生の仕事とは「自分自身をよりよくすること」であり、職業(政治家・教師・公務員・ビジネスマン。その他多くの職業)はあくまでも自分自身を成長させるための手段として考えるべきである。多くの人々が望み選択する職業は千差万別多種多様であるが、どの職業に就いてもそれは人間本来の目的を達成させるための「もの」であると考えた。

西郷のようにこう考えたら、他人と自分を比較する必要もなくなる。残された課題は、自分自身が一生の間、どれだけ自分自身を成長させ得るかである。すべては自分自身のことであり自分自身の責任でなされる。西郷は郡方書役として青年時代の十年間奉行の下に仕えていたときも、斉彬の秘書官であったときも、薩摩藩の指導者とし人  て討幕で行動していたときも、明治になり参議・陸軍大将の職にあったときも、西郷困  は人生の目的と職業を区別していた。

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