第三章 聖賢への道
人の生きる道
人は人の道を生きる。人間が根本に志すものであり、人間が他の動物と違うところである。人は人としての生き方を志す。人類はおよそ五百万年前アフリカの森から草原におりた猿が進化して人間になったと言われている。人類は戦争と殺数を繰り返してもなお、他の動物と異なり進化し発展し続けた。それは人間が人間としての生き方を追求してきたからではないだろうか。
人類の歴史の中で、キリスト、釈迦、孔子といった偉大な人類の師が人の人としての生き方を教え示した。また数多くの哲学者や思想家が出現し、人の人としての生き方を探求した。人が人として生きる道、その道を西郷は探求しようとしたのである。そのための最初の教科書は朱子の『近思録』であった。西郷とて最初から強い思いがあったわけではなく、立派な人になりたい、強い人になりたい、潔い人になりたいなど当時の薩摩武士としての憧れから始まった。
藩主重豪の時代、日付・秩父太郎は、領民が藩の経済政策の犠牲となり塗炭の苦しみの中にあることを藩主に直言した。そのため秩父太郎は職を失い生活は困窮したが、晴耕雨読を常とし清節剛毅さを失わなかったという。西郷は、秩父太郎の直言する勇気と見事なまでの身の処し方に感嘆し、愛読書が『近思録』であったということを知り、自ら提案して『近思録』の共同研究を大久保正助、吉井友美、伊地知正治、有村俊斎らと行ったのである。
青年時代の西郷は郡方書役として約十年間農政や民政の現場にいて、重税にあえぐ農民の姿を目の当たりにしていた。人一倍情愛が深く正義感の強い西郷は、農民の窮への道状を見てなんとかしてあげられないものかと思ったであろう。しかし、そう思う自分自身は税を取り立てる側の役人である。しかも自分を含め藩主以下藩は農民から取り立てた税で成り立っている。
現代でもそうであるが税は取るものであり、取った税は取った側のものであると思っている。納税者の苦労や痛みは理解しようとしない。ましてや江戸時代の徴税である。取り立ては苛酷さを極めたであろう。
西郷は、見て見ぬ振りができずに純粋で愛情が深く正義感が強いだけに、これらのことへの身の処し方に思い悩んだことであろう。自分の信じる正義とは何であろうか。
いかなる場合も変わらない人の道とは何であろうか。このとき出会ったのが『近思録』である。奄美大島・徳之島。沖永良部島に流されたとき携えたのも『近思録』であった。