西郷党BLOG

仕末に困る人 西郷吉之助 2p047-第五章_05

仕末に困る人西郷吉之助

第五章 西郷と政治

西郷と文明開化

次の『遺訓』十一項は、ザンギリ頭をたたけば文明開化の音がするといわれた明治初年ごろの西郷の人柄・性格・考え方・そしてやさしさと思いやりが表れている。「文明とは道の普く行はるるを賛称ぜる言にして、宮室の荘面、衣服の美麗、外観の浮を言ふに非ず。世人の唱ふる所、何が文明やら、何が野蛮やら些とも分からぬぞ。
予、削て或人と議論せしこと有り、西洋は野蛮ぢゃと云ひしかば、否な文明ぞと争ふ。否な否な野蛮ぢゃと畳みかけしに、何とて夫れ程に申すにやと推せしゆえ、実に文明ならば、未開の国に対しなば、慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導く可きに、左は無くして未開蒙昧の国に対する程むごく残忍の事を致し己れを利するは野蛮ぢゃと申せしかば、其の人口を苔みて言無かりきとて笑はれける」

(文明というのは道理にかなったことが広く行われることをたたえていう言葉であって、宮殿が大きくおごそかであったり、身にまとう着物がきらびやかであつたり、見かけが華やかでうわついていたりすることをいうのではない。世の中の人のいうところを聞いていると、何が文明なのか、何が野蛮〈文化の開けないこと〉なのか少しも分からない。

自分はかつてある人と議論したことがある。自分が西洋は野蛮だと言ったところ、その人はいや西洋は文明だと言い争う。いや、野蛮だとたたみかけて言ったところ、なぜそれほどまでに野蛮だと申されるのかと力をこめて主張するので、もし西洋がほんとうに文明であったら、未開国に対してはいつくしみ愛する心をもととして懇々と説きさとし、もっと文明開化へと導くべきであるのに、そうではなく、未開で知識に乏しく道理に暗い国に対するほどむごく残忍なことをして自分たちの利益のみをはかるのは明らかに野蛮であると申したところ、その人もさすがに口をつぐんで返答できなかったよと笑って話された)

西郷が言っていることは実に正しい。多くの人々は表面ばかり見て、事の本質を見ようとしない。あるいは本質を見抜く力がない。西洋人(白人)が地球上で行って来たことを見れば西郷の言っていることが理解できる。
大航海時代、インカ・アステカ文明を滅ばし、中南米で先住民を殺毅。アフリカで奴隷貿易を繰り返し、帝国主義時代には世界中で植民地化を競い合った。我欲が強くわがままで横暴で残忍で、神の名の下に自らの正義を善と信じ、他者を顧みない。背が高く、鼻が高く、見てくれがよいから、人間も立派で頭も良いだろうと外見で蝙さ蛸  れてしまう。地球上で最も野蛮な行為をしたのは西洋人(白人)である。その野蛮人を「文明だ、文明だ」と言って明治政府はなんでもかんでも、西洋が善であり正しいと見習ったのである。終戦後の日本も明治のトラウマではないかと思えるほど、原爆を二個落とした戦勝国アメリカを理想の国であるかのごとく賞賛した。そしてアメリカが意図したかのように日本のさまざまなことがアメリカナイズされてしまった。


西郷は文明とは「道の普く行はるるを賛称せる言」と言っている。そういう意味ではアメリカのアフガニスタンやイラクの侵攻を見てもわかるようにアメリカはいまだに文明国とは言えない。日本はアメリカに次ぐ世界第二位の経済大国になっている。
日本の世界地図上の立地、国民力、国民性を考え、世界人類に何が貢献できるかを二十一世紀は考えるときでもある。背が高く鼻が高く色が自ければ、いかにも立派で賢そうに見える。西郷は「道は天地自然のものであるから、道を行うのに西洋も東洋もない」と言っている。
上野公園には西郷の銅像がある。幕末維新と活躍した西郷が犬をつれ、裾みじかの筒袖の着物にへこ帯をしただけのラフで悠然とした姿で立っている。
果たして、日本が世界に果たすべき真の役割とは何であろうか。東洋の日本が西洋(自人)に道を行わせ文明に導いたらどうだろう。それができるぐらいに日本人はもっともっと成長しなければならない。そうして初めて、西洋と東洋のバランスがとれることになる。

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