第五章 西郷と政治
なぜ税を払わなければならないのか
西郷は長く農政の現場にいて、重税にあえぐ藩内の農民の困窮を見てきた。さらに奄美大島では島全体が税を支払うための生産工場と化し、島民は税を払うために生きているという苛烈な取り立ての仕組みを見て来た。幕藩体制に代わり新しい国家に
なっても、税を払う側の仕組みは何も変わることなく明治政府に引き継がれた。できたばかりの新政府には財源が不足し、徳川時代よりかえって重税を課すことになった。
「人民の人民による人民のための政治」とリンカーンは言った。政治や国の運営は人民の人民による税で行われる。それが人民(国民)のために行われているだろうか。江戸時代(封建時代)の薩摩藩であれば、領民、領国は藩主のものというのが一般的概念であってもいたしかたない。そのような中で西郷は独自の天の思想を持ち沖永良部島の囲い牢にいるとき、島役人の土持政照に「人民(国民)のための天の思想」を説いている。土持政照に書いて与えた『与人役大体』は、天子も大名も役人も極論すれば万人(国民)を慈しむために存在するという考えを展開している。西郷の考えをリンカーンの言葉に変えたら、税とは人民の人民による人民のためのものということになる。そうであれば、日本国憲法にある国民の納税の義務は当然のことになる。しかし、税の公正公平な徴収と使用は現代の二十一世紀でもなかなか難しい。
次に記したのは国家経営における西郷の税に対する考えである。
「祖税を薄くして民を裕にするは、即ち国力を養成する也。故に国家多端にして財用の足らぎるを苦むとも、租税の定制を確守し、上を損じて下を虐げぬもの也。能く古今の事績を見よ。道の明かならざる世にして、財用の不足を苦む時は必ず曲知小慧の俗吏を用いひ巧みにしゅうれんして一時の欠乏に給するを、理財に長ぜる良臣となし、手段を以て苛酷に民を虐げるゆえ、人民は苦悩に堪へ兼ね、衆飲を逃れんと、自然講詐狡猾に趣き、上下互に欺き、官民敵讐と成り、終に分崩離折に至るにあらずや」『遺訓』十三項)
(税金を少なくして国民生活を豊かにすることこそ国力を養うことになる。だから国にいろいろな事柄が多く、財政の不足で苦しむようなことがあっても税金の定まった制度をしっかり守り、上層階級の人たちをいためつけたり下層階級の人たちを虐げたりしてはならない。昔からの歴史をよく考えてみるがよい。道理の明らかに行われない世の中にあって財政の不足で苦しむときは、必ず片寄ったこざかしい考えの小役人を用いて、悪どい手段で税金をとりたて一時の不足を逃れることを、財政に長じた立派な官吏と褒めそやす。そういう小役人は手段を選ばずむごく国民を虐待するから、人々は苦しみに堪えかねて税の不当な取りたてから逃れようと、自然にうそいつわりを申し立て、また人間が悪賢くなって上層下層の者がお互いにだまし合い官吏と一般国民が敵対して、しまいには国が分離崩壊するようになっているではないか)