第七章 道義国家
日本が道義国家となり、それを世界の国に及ぼせ
日本は世界の経済大国となって久しい。考えてみれば、何かとアメリカとの関係は良い悪いは別としてずいぶん長い。太平の夢をむさぼっていたのを、いきなリペリーにたたき起こされた。それから日本は無我夢中でアメリカの素晴らしさ美しさに追いつこうとした。追いつこうとすると、アメリカは追いつくのは百年早いといわんばかりに日本に意地悪をして突き放した。怒って喧嘩になったが、その後はベリーのときのようにアメリカの素晴らしさ美しさに憧れ追いつこうと我を忘れてがんばってアメリカに従ってきた。良い悪いは別として、これが今日までの日本の姿である。
地球上の人類が世界各地で人間の国家を形成している。地球上における人間の存在意義は、果たして何であろうか。十年後、五十年後、百年後と人間はどのように進化発展していくのであろうか。インターネットの普及や通信技術の発達で、世界各国の距離感はまったくなくなっている。北京オリンピツク、民族紛争、小規模戦争、サブプライムローンに端を発したアメリカの金融危機といったのが今年起きた出来事である。西郷が言った「四海同胞、外国は隣りのごとく」は現実のものとなっている。今後も科学技術の開発により、「より便利に、より快適に」を求め人類文明はさらなる発展を遂とげるであろう。
しかし、明治維新から今年二〇〇八年(平成二十年)までに百四十年という歳月がたっているが、西郷の指摘した真実は今も変わらない。
人間が人である以上、人の道を歩まなければならない。それは宇宙の理である。草木や動物や他の生物が生成発展し、宇宙の自然の法則に従っているように、人が人と灘して生きる道もこの宇宙の法則に従っている。西郷はこのように考え、道は天地自然のものと言い、道を行うには西洋人、東洋人の区分はないと主張している。西郷は百雛 四十年前の時点で人種、民族、国籍を区別しないで人間(人類)としてとらえる考えを持っていた。だから、欧米は文明だ、文明だと舞い上がっている人に、本当に欧米が文明だというのなら未開の国や後進国に対しては親切丁寧に慈愛をもって接しなければならないはずなのに、未開後進の国に対するほどむごく残忍ではないのか、これで欧米が文明国と言えるだろうかと話している。文明とは「道の普く行はるるを賛称せる言」とすれば、欧米は文明国とはいまだ言いがたいのである。
地球上の六十七億人の人間を統治する国家、政治形態を見てみる。民主主義、主権在民、資本主義、貨幣経済、市場原理、この五つの要素を主として人類は統治されている。今後人類が解決しなければならない地球規模の環境問題、人口増加による食糧問題、資源の枯渇といったことに対し人類はどのように対応していくべきであろうか。
アフガニスタンやイラクでは五年以上も戦闘が続いている。いまだに文明国でない大国アメリカやロシアや中国が資源や食糧の争奪で覇を争い、何かのきっかけで戦争に突入しないともかぎらないのである。人類は三度の世界大戦を経験し、その苦痛を味わったにもかかわらず、いまだに世界各国の共存共栄の方法を政治的にも経済的にも社会的にも見つけ出していない。
人類は国の運営の仕方や経済の運営の仕方について、試行錯誤を繰り返し、長い間迷い続けている。現代においてもどれが正しい政治の仕方でどれが正しい経済の仕方かは、まだ明確に分かってはいない。本来なら政治や経済の根本に置くべきである道義が忘れ去られているため、何千年たっても試行錯誤の状態が続くのである。人類の未来永遠の繁栄を願うとき、世界各国が共存共栄しなければならない。そのためにはそれぞれの国が道義国家となる必要がある。
まず日本が世界に冠たる道義国家となり、それを世界に及ぼしたらどうであろう。
世界中の国を見ても、経済、人口、民族構成、精神文化、技術力、地理的位置など他国と比べても日本以上に適任な国はないのである。また、世界の共存共栄のために日本が果たすべき使命であると思う。