人間は天地自然の一部である
銀河系星雲をはじめ多くの星雲からなる大宇宙。銀河系の一つの恒星である太陽系の第三惑星である地球。人類はその地球の借家人である。地球の築年からすれば昨日今日住みついたばかりである。その昨日今日の借家人が家電や車を持ちこみ、さらには危険物の核までも持っている。果ては地球を己の所有物のごとく思いわがままな振る舞いを重ねている。そのため早くも環境問題などで地球という借家そのものに損傷を与えかねない事態も起こっている。
現在人類が持っている最大兵器・核爆弾(水爆)さえも、太陽の内部で繰り返され毎秒毎分エネルギーを放出している核融合の一種にすぎない。人類が発明開発した物といっても、大宇宙・自然界に存在している原理の一つを見つけ出しただけ。大宇宙という図書館からほんの一部の情報を取り出したにすぎないのである。もっと謙虚になれば宇宙や自然界から学べるものは数知れないほどある。
西郷は『遺訓』の中で「天地自然」という言葉を使っている。第九項では「道は天地自然の物なれば、西洋と雖も決して別無し」、二十一項では「道は天地自然の道なるゆえ、講学の道は敬天愛人を目的とし」、そして二十四項では「道は天地自然の物にして、人は之を行うものなれば、天を敬するを目的とす」と述べている。西郷の「天地自然」はどういう意味なのか。本人に聞かないと百%は分からないが、宇宙や大自然と人間を切り離して考えていないことは確かである。それは『遺訓』や漢詩の中によく表れている。西郷は五年間に及ぶ「島流し」の間、奄美大島では狩りや漁を通して大自然と接し、沖永良部島では野ざらし吹きさらしの囲い牢にあって生
身を大自然にさらした。西郷は好むと好まざるにかかわらず、厳然とした自然界の秩序と自然界を通して見える宇宙の宏大さを考えざるを得なかったのである。
時々刻々、移り変わる自然界。昼と夜、春夏秋冬その中の一部でありまた全部ともなっている植物と動物。自然界の美しいまでの見事な調和とバランス、そして絶え間ない生成発展。奄美大島・徳之島・沖永良部島に流されたとき見た東シナ海の大海原。太陽と月と星空を通して見える宇宙。これらを西郷は全身で感じ取っただろう。今日のように都市に高層ビルが林立する人間社会から見れば、自然界は風景や単なる環境にすぎないと思われがちである。しかしながら、現在の世界においても台風や大雨や地震といった自然災害が近年増え続け人間社会を脅かしている。環境問題が叫ばれているが、五百年、千年後には恐竜が環境の変化によって絶滅したように、人類もまた同じようにならないとも限らない。
孫悟空が飛び回っても釈迦の手の中から出られなかった話にあるように、どんなに人間の科学が発展しようとも、それは地球規模のものである。大宇宙の宏大さから見れば何もないに等しい。科学を過信することなく、人類もまた大宇宙の視点から見れば大いなる天地自然の一部であることを謙虚に理解すべきである。自然をよく観察し人類にとって有益な自然界に存在する宇宙の原理を発見するように努め、自然との調和を図った方が人類未来のためになるのは確かだ。
西郷は維新後、鹿児島に帰って郷里の山野を歩き温泉に入りよく狩りをした。征韓論争で下野したときも、暇を見つけては犬を連れ狩りに出かけ何日も山奥に入り帰らなかった。西南戦争勃発の直接の引き金となる、私学校生徒による政府弾薬庫の襲撃を聞いたのも、狩りに出かけていた大隈の山中であった。西郷は自然を愛し自然の中にあって、己の生死さえも大いなる「天地自然」の意志のままに任そうとしていた。