活動報告

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2020年秋 エール 【映画監督】森本良和×【日本道義主義の会】早川幹夫

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明治維新のリーダーたちはコロナの今の日本をビう見るか

コロナ禍の中で人間社会のあり方が変わつてきました。西郷隆盛が望んだ道義の志が今間われていると言つても過言ではありません。明治の人は今の日本の状況の変化をどう思つているか。
そんなお話を日本道義主義の会早川会長と鳥取に住み、幕末の鳥取藩の映画製作をしている森本良和さんとでリモート対談をしました。

早川幹夫
日本道義主義の会会長。昭和23年鹿児島県奄美大島生まれ。拓殖大学卒。琉球大学文部事務官に就職。その後事業起こすが失敗。借金を背負い沖縄の守礼の間で、アイスクリーム売りで現金商売を始めた。人材派遣会起こし現在に至る。著書に「―箇の 大丈夫 西郷
吉之助」「道義国家を目指した 西郷吉之助」「始末に困る人 西郷吉之助」などがある。

森本良和
1957年鳥取県生まれ。映画監督。鳥取歴史振興会会長。近畿大学卒後県職員。鳥取県立図書館長で退職。平成24年映画「本囲寺
の大激論」で映画監督デビュー。以降平成30年までに鳥取藩の幕末維新史を制作し続け、全10作品を完成。鹿児島県立図書館長
の原口泉先生の協力を得て鳥取藩が幕末維新に貢献した「薩長因備」を提唱

幕末の鳥取藩を舞台に映画作り

早川幹夫

私は生まれは西郷隆盛が流された島奄美大島です。その後、沖縄の国立大学の職員として働きましたので、西郷さんの生き方に大いに影響を受けました。

森本良和

私も鳥取県職員でした。54歳で県を辞めました。お袋の介護がきっかけでした。人生いろんな事があるけれど大きなタイミングを通り抜ける時は自分だけの力じゃない何か別の力があるなと感じたことがあります。
昨日友人から電話があって、鳥取に松田道之の碑があると言うんです。
鳥取藩の武士ですが、大久保利通の右腕となり、琉球処分の責任者として、明治13年に首里城を制圧しました。だから鳥取人は沖縄の人に恨まれているのではないかと思います。

早川幹夫

それはないです。沖縄のメディアや識者の多くは、薩摩藩に支配されたとか太平洋戦争で捨て石にされたと言いますが、私は奄美大島出身なので、奄美大島はもっとひどかったです。薩摩藩の支配下で250年。奴隷のようにしてサトウキビを作っていました。薩摩藩の経済力は奄美大島の黒糖と琉球との密貿易と言われていますからね。
話が逸れましたが映画監督をなさっていると聞きました。

森本良和

お袋が死んだ後、55歳でしたが、歴史が好きだったものですから、映画でも作ろうと思いました。映画の工の字もやったことないのに作れると思ってしまったんです。近くに演出家だった90歳の方が居まして、その方に映画を作りたいと言いました。「出来る訳ない」と言われながらも5回ほど会いました。そしたら「台本はどうする」と聞かれましたので、原稿用紙100枚ほどを書いて見せたら、彼が「本気だな。じゃあ作るか」と。鳥取藩の幕末の映画を10本立てで自分自身が観たい場面を作ろうと思いました。
尊王攘夷派と佐幕派の代表が京都の本囲寺で大激論した歴史があるのですが、その場面は2人だけいればいいのですが、その2人がなかなかいないのです。オーデイションを開いたのですが誰もこなくて、NHKが取材に来ていたので、アナウンサーに何歳か聞いたら33歳ですと。33ならピッタリと、その場でスカウト。
演劇の経験はなかったそうですが、演技はとてもよかったです。役者に魂が下りてきて台本にないことを喋るという感じでした。今は地元の人30人ばかりが手伝ってくれます。
撮影するうちに新たな歴史が判明していったのもよい経験になりました。西郷隆盛の手紙が発見されたんです。鹿児島の歴史学で有名な原口泉先生に会いに行き報告したら「これは発見されていない、全集には入っていない手紙だ」とビックリされてました。慶応3年の12月24日。まさに鳥羽伏見の戦いの一週間くらい前の手紙です。江戸では薩摩藩邸の焼き討ちをしている最中に西郷さんは鳥取と岡山の家老に対してどちらにつくんだという手紙を出しているのです。鳥取と岡山合わせたら70万石ぐらいありますので、これが敵か味方になるかで西郷さんはすごく悩んだでしょう。この情報戦があったことに原口先生は驚いていました。

早川幹夫

西郷隆盛は戦いの場に望んで、そういう手を使うのはあちこちの資料に出ています。戦いの場では、やれる手は打つと書き残している。いざという時はそういう手も使うし、使える力量がありました。

森本良和

鹿児島の「西郷南洲顕彰館」に行くと掛け軸が展示してあって、藤田東湖の歌や武田耕雲斎のものがありました。桜田門外の変で、水戸藩が井伊直弼を暗殺しますが、あの時に鳥取藩が一枚噛んでいたんです。

関鉄之介という人が鳥取に何度も来て、 一緒にやろうと誘ってくる。鳥取も命をかけて水戸とともに立ちますと水戸の背中を押すんです。桜田門外の変の時から鳥取は水戸とは歩調を合わせているんですが、明治維新の資料を見ると水戸藩や鳥取藩、岡山藩が深く関わっていたことも全く出てこないですね。
その反面、西郷さんの庄内藩に対しての裁きはすごいですよね。3年ほど前に会津に行きましたが、鳥取の人間ですとは言えなかつたです。
だけど白虎隊のお墓参りをした時に、シニアガイドの人が説明をしてくれたのですが、途中で鳥取の人間ですと言ったら、憎いなんてことはないですと。その後で庄内に行くと、西郷さんの神社があり、記念碑も建っている。びっくりしましたね。

新しい日本を作った幕末の下級武士たち

早川幹夫

歴史は繰り返すと言いますが、今の新型コロナの騒ぎみたいなのが、今から100年前のスペイン風邪、ちょっと前の幕末から明治のコレラ。流行病と歴史は深く関わりがあるなと感じています。これが歴史なんだな、人間に与えられた試練なんだなと思います。その時に国民がどういう風に生きるのかを導くリーダーが今はいないと思います。幕末には強力なリーダーがいて、それを支える国民がお互いの信頼関係で次の未来に進んで行く。 一致団結していくのが必要なんだと思います。

森本良和

260年間平和が続いた江戸時代。武士も官僚化して、刀振るったことのない武士がいて、それが幕末ペリーが来て、世界から遅れを取ってしまった。その時に尊王攘夷派は新しい時代を作るのに将軍じゃダメだと考えた。下級武士は変革を求めて、新しい世が来た時に自分たちが表舞台に立つんだという気持ちがあったと思うんですが、一般の庶民が一致団結して江戸幕府に向かったんです。それを上手く動かしたのが、長州であり薩摩であり、上に立つ人だったのです。当時幕府と国民の信頼関係がなくなつていました。幕末は尊王攘夷派の若い連中が命を捨てて、いろんな事件を起こしていますが、そうでもしないと世の中が変わらないという危機感を持っていた。
迫力が大切だと思います。今はそれがない。国民一人ひとりが芯を持って、それは違うだろと思わないと。

早川幹夫

地球に75億の人間がいて、生まれて死ぬまでに何の目的で生きるのか。人間の存在価値はなんぞやと。
それが奇しくもコロナウイルスが地球上にとって人類が必要か不要かを突きつけている気がしないでもないですね。アフリカの子どもに生まれたり、アメリカの子どもに生まれたり、命は一つ一つ同じであるはずなのに差がある。何を目的として、何で死ぬのか……。
日本人があまり狼狽えないのは死生観を持っているからかなと。それは鎌倉時代からの武士道が根底にあると思います。日本では略奪や暴動もないし、死んでも泣き叫ばない。
わりと冷静で立ち上がるのが早い。日本のこういう道義的な考えや利他の精神を世界中が見習った方がいいんじゃないかなと思うんです。日本の民度の高さや教育を諸外国が見習うと平和になるかなと。日本が道義国家になって、世界人類の平和を主導すべきだと思います。
西郷隆盛が明治6年に鹿児島に帰って、私学校を作ろうとする。その綱領の最初に、
「道を同じ義相協うを以って暗に集合せり。故にこの理を益々研究して、道義においては一身を顧みず必ず踏み行うべきこと」
と書いてあります。西郷隆盛の意識の中には、若い人たちがしっかり学んで正しいことを正しいと知ったら義という行動に起こさないといけないよ。人間の在り方や天地自然の生きる流れを学んで、義を学んで、道義がはまった時は命を捨ててでも行えと言っているのです。
人間はいくらお金や地位があっても、何のために生きるのか、人間が成長するのはどういうことかと探求して、成長することが大切なのだと西郷隆盛が教えている気がします。
欧米人も東洋人もインドも中国も人間の存在目的はなんぞやと。どうした方が成長するのかが問われています。人間の体の中には百兆個の腸内細菌が共存していますよね。これはコロナが人間の在り方を問うているのかと意識して考えた方が前に進めるかなと思います。

コロナ禍の中で日本人は志を持って生きてほしい

森本良和

まさにその通りだと思います。普段生活する中で、コロナで死ぬ人がいて、えらい時に生まれているな。歴史の1ページに現在進行形で生きているのだなと思います。その中で、自分がもし今日コロナになつて重篤化して、生きるか死ぬかになる可能性もあるので、生と死がすぐそばに近づいた意識がします。
自分が今死んでどうなるんだと思った時に悔いを残すのか。達成感を持って死ぬかと思った時に、映画を10本作ったし、 一区切りついたかなとは思っていますよ。良い人生だったと思えたら、コロナも怖くはないかなと日々生きています。上映会も撮影も出来ない状況で、大と遊んでる日常で、今年の大きな仕事は10月に桜田門外の変のシンポジウムをやるのですが、それで満足と言えます。

早川幹夫

歴史はオーバーラップすると言いますから、今は幕末ですよ。私も森本さんも、「よし、日本を道義国家にするんだ」。そういう時です。そういう元気な人が一人二人増えたら良いと思うし、今は若い人は就職氷河期で、昭和40年代の右肩上がりの日本経済も知らないし、訳も分からないゆとり教育を受けて、さらに今、コロナ禍を経験した子どもたちがどういう日本人になるのか心配です。

コロナ世代として10〜20年後にその影響が出てきますよね。こういう時にリモートじゃない、マスクしてでも、フェイストゥフェイスで授業やビジネスするのが大切だと思いますけどね。

森本良和

私には力不足かもしれないです。今、案があるのは昔、金鉱山があって、谷になっている。こんな所から怪獣が出たら面白いなと思いまして、「ワジラ」を作ろうと。ワジラが地上に出る時には世の中の悪いやつをやっつける水戸黄門にしようかなと思っていましたが、今コロナをやっつけるようにしたらどうかなと思いました。そういうメッセージ性が必要でしょう。
公務員の時は志なんかなかつたです。辞めてからは、何かを成し遂げたい志があれば、困難も乗り越えていける。ガンの手術や糖尿病の入院、両親の死も10年の間にありましたが、とにかく志で耐え抜いて来ました。だからこれから先、世界の人がどうなるかを考えた時に、文化の違いがありますが、日本では国のリーダーがその志で引っ張ちていってほしいです。特にコロナで新しい価値観になってからは、更に志を持っていないと、マスコミに流されてしまいます。芯になるのは、西郷さんの道義というか、命をかけてもいいという思い。
いざとなったら死んでもいいかなと僕は思います。

早川幹夫

私も志を持つということが大切だと思います。いろんな人生経験をしながら、志を強くして、俺の志はこれだというのが人生じゃないかなと。そういう意味で若い人が志を持って、西郷のように強くたくましく生きること。そうすると人を許すこともできる。西郷は徹底して強くたくましく生きていたと思います。
もう一つ言えることは、世界に自由主義と民主主義という大きな思想があって、欠けているのが人の道という道義主義がない。それを加えないと、個人と国家のエゴが増大するばかりで、いつ第三次世界大戦が起こっても仕方がない。日本人が道義国家として引っ張っていくのがシナリオかなと思います。

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