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早川幹夫×具恙堅幸司 オリンピック特別対談
コロナ禍の中で日本らしい新たな形のオリンピッタを期待する
東京オリンピックがいよいよ開催されます。今回は金メダリスト具恙堅幸司さんと日本道義主義の会会長0早川幹夫さんとの対談です。対談は6月初旬。コロナの豊延十、開催するのかどうかの微妙な時期でしたが、開催するならコロナ渦でもできたという日本らしい歴史に残る大会にしたいと期待に満ちた対談になりました。
具志堅幸司
1956年大阪府生まれ。1972年体操の名門清風高校に入学。高校3年、全日本高等学校体育大会で清風高校に初の団体優勝、個人総合優勝をもたらす。1975年日本体育大学に入学。ロサンゼルス五輪では個人総合とつり輪の2個の金を含む5個のメダルを獲得。2008年北京五輪で男子代表監督を務めるなど後進の指導にあたった。日体大教授、同副学長を経て12代目の学長に就任。今年3月末退任。
早川幹夫
日本道義主義の会会長。昭和23年鹿児島県奄美大島生まれ。拓殖大学卒。琉球大学文部事務官に就職。その後沖縄・東京で人材派遣会社を起業し、現在に至る。西郷隆盛の生き方に感銘を受け、混迷する現在の世界の政治と経済に道義主義を唱える。著書に「―箇の大丈夫西郷吉之助」「道義国家を目指した西郷吉之助」「始末に困る人 西郷吉之助」などがある。

現在コロナの世界的蔓延を含め、人類社会の在り方を問われているのが今だと考えます。私が主宰する日本道義主義の会は、人類社会の中で自由主義と民主主義がありますが、人の道である道義主義が今こそ必要ではないかと道義主義を普及しようとしています。
アメリカが日本の渡航を制限するとか、イスラエル・パレスチナ紛争でも多くの人が死んでいます。その中でのオリンピツク開催はどうなるのか。それを含めてオリンピツクの理念というのを今一度見直すべき時ではないかと思います。

オリンピツクは中止したほうがいいと思いますか?

できるならやつたほうがいいとは思いますが、もしやるのであれば、見事に成功させてこういう状況の中でもできるんだというような方法でしたら素晴らしいと思います。
予測できない世界の情勢の中で、使命を受けた日本がきちっとやれたら見事だと思います。
日本がこういう局面に立ったということは、ある面では日本主導でオリンピツクのあり方や意義を問いただす絶好の機会です。日本の真価が問われている気がします。アスリー卜や政府も大変だと思いますが、この大変な社会の中でプラスに転じられるかどうかの価値が間われていると思います。

日本政府としては首相自らやりますと宣言しています。 一方選手はやるものだという前提で練習していますし、アスリートたちはなんとしても日本代表に選ばれたいという思いです。コロナであってもなくても選手自体は変わらないと思います。
しかしオリンピツクというのは金メダルだけじやありません。世界の若人が集まって、しのぎを削りながら切磋琢磨するのもオリンピツク。でも平和に貢献することもオリンピツク。
大会が終われば、選手一人一人が平和の大使としての意思を継いでいくというのも世界平和につながる大きなオリンピツクの理念であります。コロナによつて平和の大使としての活動ができないのが残念な大会になると思います。それでも大会が成功することによって、平和に貢献する、戦争やテロのない平和を築き上げていくという意義のある大会だと思います。

仰る通りだと思います。

海外からは関係者だけしか来日できません。それだけでも人数は多いですから、どういう検査体制でやっていくのか。おそらく監督と選手が接触する機会はゼロでしょうね。
インタビユーなんかも遠隔でしょう。新たな形のオリンピツクになると思います。

そうした方法を日本が最初に作つたら、4年後、8年後に何かあった時に柔軟に対応できる基盤を作ることになって素晴らしいでしょうね。

コロナ禍の日本のこういう状況でもできた実績は残して欲しいと思います。でも感染拡大が防止できる保証はないですし、反対する人たちがいるのも当然です。ただ関係者としては開催して欲しいです。1980年のモスクワオリンピツクをボイコットした時、私は代表選手でした。今のロシアがアフガニスタンに侵攻し、アメリカのカーター大統領がこんな国で開催されるオリンピツクには参加しないとボイコットを表明して、西ドイツ、韓国、日本など、西側諸国は右に倣えしましたので出られませんでした。オリンピツクはどんな味がするのかな、どんな匂いがするのかな、出てみたいと思っていたオリンピツク選考会で代表選手に選ばれました。それからのボイコットでした。だからオリンピツクに出られない選手の気持ちが人一倍解ります。したがって今の選手にそんな思いをさせたくありません。たしかに平和じゃないと開催されないのは事実です。過去中止になったのは全部戦争です。

そういうものに左右されないのがオリンピツクじやないかな。紛争や、国同士の対立など。今後そういうことがないようなオリンピツクでありたいですね。オリンピツクの目的は世界平和であったり、競技に出た人が平和の大使というのであれば、尚更です。それがオリンピツクの理念じゃないかなと思います。今先生の話を聞いて、環境によつて左右されるのだったらオリンピツクの本当の理念や理想の価値が下がるかなと思いました。

反対する人は、理念としては分かっても、感染拡大にならないのか、オリンピツクは命より大切なのかということです。それは一つの見方であり間違いではないと思います。

微妙なところですが、いつの世も戦争と平和が繰り返されますが、それを超越したシンボル的なものがオリンピツクです。エゴであつたり利害がからむとオリンピツクは人為的なものになって価値が下がってしまいます。

オリンピツクはなんぞやともう一度考えていく必要があります。
お金が全ての大会になってきているので、2008年北京オリンピツクでは男子体操の監督をやらせてもらいましたが、決勝が午前中でした。我々のパフオーマンスが全開になるのは午後です。どうして午前中でないのかと聞いたら、アメリカのテレビの放映権の関係で午前中が時差的にゴールデンタイムだというのです。つまり選手よりもお金が優先されるのがオリンピツク。その最初のスタートが私が出たロサンゼルスオリンピツクでした。オリンピツクは儲かるぞと気づいて、どんどんお金優先のオリンピツクになり、選手ファーストではなくなったんですね。

前の東京オリンピツクは10月10日でしたが、なんで夏に行われるのでしょうか。

IOCでオリンピツクは開催を7、8月に限定しているんです。
以前は限定してなかったから、前の東京オリンピツクは一番いい季節でやりましたが、今は暑い日にやらせようとする。もう一度選手フアーストの理念に立ち返って見直していくべきです。
こんなにお金が動いていいのかと。
予算縮小で東京オリンピツクを勝ち取ったのに、縮小どころか追加されたお金の額を聞いてびっくりします。

先生が仰つたようにコロナの中で原点に返るのはまたとないチャンスだと思います。それを政治の中核の人も、今の商業ベースのオリンピツクから平和の祭典にリセットし直すんだというぐらいの思いがあれば拍手喝来ですね。

日本はどういう国を目指していくのか。例えば2008年の北京オリンピツクの時に中国の人が言ったのは、中国はメダルを多く取れるようになったけれど一般市民までスポーツの裾野が広がっているかと言えばそうではない。メダル王国だけどスポーツ大国ではない。一方、ドイツはメダルは少ないけど、地域の人が体を動かすことの楽しさを伝授している。メダルは少ないけれどスポーツ大国だ。法律にも誰でもスポーツを楽しむことができ、スポーツを通して豊かな人生を築き上げていこうと定義されています。
早川 金メダルを多く取るのが目的というのはゆがんでいると思いますね。
先生はロサンゼルスでメダルをいくつも取りましたね。モスクワに出場できなかった悔しさがあつたからですか?

金メダルを多く取るのが目的というのはゆがんでいると思いますね。
先生はロサンゼルスでメダルをいくつも取りましたね。モスクワに出場できなかった悔しさがあつたからですか?

いや、悔しさというよりもオリンピツクに出たいという一心でした。東京オリンピツクの時は小学校2年生のでした。オリンピツクはすごい人の集まりなんだという価値観でした。小学校6年生の時にテレビでメキシコォリンピツクの体操を見ました。それで体操を始めたんです。
出場選手は雲の上の存在で、覗いてみたいという好奇心いっぱいのオリンピックでした。高校1年生の時にミュンヘンオリンピツクを見て、体操はすごい。あの中でできるのはすごい人たちだと第三者的に眺めていました。次は”歳の時でモントリオールオリンピツク。その時はひょっとしたらという感じでした。それから実際に行けるんじゃないかと変わって、ロスアンゼルスの時にはメダルを取りに行きたいオリンピツクになりました。私の中でオリンピツクの価値観は変わっていったんです。

総合と吊り輪で金メダル。銀も2つ。でもオリンピツクの前に怪我しているんですよね。

大学三年、四年生で怪我しましたね。医者からもう体操できないよとまで言われました。きっと考えなさいよという時間だったんでしょうね。それからは上半身を鍛え上げて力が強くなって、それから体操が変わりました。怪我して色んなことを学びましたね。人のせいではなく、自分のせいでしたから。怪我と対峙する中で見つめ直す時間がありました。怪我をする度に強くなりました。
普通はダメになるんでしょうけど。気持ちは明るかったですね。今できることをやろうと一生懸命筋カトレーニングに励みました。

私は学生時代、不規則な生活をして体を壊した時に、西郷隆盛の生き方を知つて、ああいう人になりたいという憧れました。人間の成長というのは測定できないけど、人の真似から入るのかなと思いますね。

真似るから学ぶと言いますが、自分もそうでした。僕も憧れる先輩がいましたので、その先輩の持ち物やジャージも同じのを親におねだりしたり、歩き方や話し方も真似するところから始まりました。憧れの選手というのは、中学時代の2つ上の先輩ですね。ちょっと努力したら追いつけるんじゃないかという人たちをいつも目標に置いていました。最終的には加藤澤男選手の演技を見て体操を始めましたから、ゴールにはああいう体操をしたいなというのがありました。

私は西郷隆盛のような度量の大きい強い人間になるにはどうしたらいいか、西郷隆盛が『言志四録』を学んでいた。私もそれを学ぶことによつて、西郷隆盛の考え方もある程度理解できる。そういう訓練法を若い時にやりました。先生が仰ったように憧れに近づきたいと真似ることです。

ずいぶん前のことなんですが、スポーツマンシツプということに対して考えさせられた大会がありました。リオオリンピツクで内村選手が個人総合で優勝しました。はじめ二種目の時にウクライナのオレグ選手が少し上で、5種目やっても1点近く内村選手が負けていたんです。順番的に内村選手が先でオレグ選手が後だったんです。内村選手は完壁な演技でした。それを見てオレグ選手が動揺したのかオレグ選手がいつもより良くなかつた。最終的に内村選手が大会二連覇。ロンドンに続く個人総合優勝の快挙を成し遂げました。
その後金銀銅のインタビューがあり、嫌な質問をアナウンサーがするんです。「審判に好かれているから良い得点が取れると感じていましたか」。「最終種目の鉄棒まで1点差があって、審判からの同情による加点があったと思いましたか」と。内村選手は「ジャッジは公平だったと思う」と答えました。それを聞いていたオレグ選手は「内村選手はキャリアの中でいつも高い得点を取ってきた。今の質問は無駄なとものだ」と発言したんです。「最高の演技をした結果であり、疑いの余地もない」と。すかさず3位に入ったイギリスのウィットロック選手も「彼は素晴らしい。皆のお手本だ。何年も彼を見てきたが、すごいとしか言いようがない」と絶賛の言葉を述べました。これを見た時にまさしくスポーツマンシツプだなと。相手や審判を尊重し、自分を尊重する。2位や3位に入った選手が相手を認めて讃える。オリンピツクで金メダルを取れたことよりも、感動しました。相手と自分を尊重する。だから最後まで頑張るというのはそういうことだと思うんですね。

スポーツは体だけでなく心も鍛える必要もありますよね。

自分の中で目標をしつかり定めないといけないですね。日標がはっきりすれば生き方がきまり、手順が決まる。日標意識がはっきりしないといけない。今日の練習はどうだったか、今の演技はどうだったか常に振り返りでした。それが自分を見つめていくこと。私が監督の時に選手に言ったのは、準備を多くしろと。準備が100。試合が∞でいいと。20は反省すれば、また準備に活かされる。どんどん100が大きくなり試合の80も大きくなる。日標に向かって生きることが人生なんだ。生き方なんだと。
ここで挫折すると何をやつても挫折すると。そんな中でも真面目さは大切にしたいですね。選手は毎日練習して疲れるわけですから。その疲れている時にどれだけ向き合って練習していけるか。
世田谷にあった東京体操場で練習するために私はコーチングは勿論、ワゴン車で選手を運搬しながら指導しました。そのワゴン車で水鳥寿思選手は一度も寝たことがありません。渋滞につかまり2時間くらいかかるんです。他の人より練習できる時間が少ないわけです。それでも水鳥選手
はアテネオリンピツクに行きました。
彼は行きのバスでは今日はどんな練習をしようかと考え、帰りは反省していました。このように実践と振り返りが毎日彼の中で行われていてオリンピツクに繋がっていったのです。
真面目さは大切です。

人が見ていようとなかろうと自分の中で真面目になる人が伸びるのですね。
そういう真面目な選手たちが活躍する東京オリンピツクもいよいよ開催されます。日本らしい歴史に残るオリンピツクにしてもらいたいですね。