活動報告

メディア掲載

2022年春号 エール 【日本エチオビア協会・アフリカ日本文化スポーツ交流協会】野木将典×【日本道義主義の会】早川幹夫

全文掲載

春の日本道義の会対談

道義を正す

ロシアのウクライナ侵攻が始まり、一気に世界動乱の様相を帯びた2月末に対談が行われました。「道義」のIヒを無くしたロシア。今世界のあちこちで道義に反する行いが起きています。そん女世界に向けて日本が発するの1よ道義主義国家を作ろうということではないか。二人の意見が一致しました。

早川幹夫
日本道義主義の会会長t,昭和23年鹿児島県奄美大島生まれ。拓殖大学卒.琉球大学文部事務官に就職。その後沖縄・東京で人材派遣会
社を起業し、現在に至る。西郷隆盛の生き方に感銘を受け、混迷する現在の世界の政治と経済に道義主義を唱える。著書に「―箇の大
丈夫西郷吉之助」「道義国家を目指した西郷吉之助」「始末に困る人 西郷吉之助」などがある。

野木将典
昭和18年東京都生まれ。国士舘大学政経学部卒.一般社団法人 日本エチオビア協会・アフリカ日本文化スポーツ交流協会代表理事、元国士館大学武道・徳育研究所教授 著書に校注愛静館筆語(近代文芸社刊)、武徳、(宗名臣言行録)(三青社刊)

礼に始まり礼に終わる武道
本当の礼の意味は道義

野木将典

私は道義という言葉が大好きです。武道の原点なんです。本来は柔道も剣道も道義を知るためのものなのですが、今は柔道を強く、剣道を強くと、勝敗が先になってしまっています。勝敗は武道とは本来関係ないのです。道義国家を形成するために武道があるんです。そういう考えを持っている早川会長に出会って、私と同じ考えの方がいるのだと思いました。

早川幹夫

野木代表が先日道義国家として日本を再建しなければと仰っていたのですが、明治維新の時も西郷隆盛は日本を道義国家にしたかったんです。幕府を倒して新しい国になったら、どういう国にするかという根幹をまず考え、しかるのちに欧米の科学技術や産業を取り入れるべきだと思っていたんです。でも明治政府の人たちが欧米の進んだ科学技術や産業に圧倒されてしまって、そっちを取り入れるのを先にしてしまった。心を抜きにしてしまったんです。
今世界はロシアのウクライナ侵攻があって、動乱の時代に入っています。そこで世界人類の平和は道義国家の日本が主導する以外ないと思っています。

アメリヵはなにもできない。中国は経済覇権主義的で厳しい。フランスとイギリスは国が小さ過ぎて無理。残されたのは日本しかないと思います。野木代表と出会い、「道義で日本を再生しよう」という言葉を聞いて、これは急いでやるべきという思いに至りました。

野木将典

国士舘大学そのものが道義なんです。私は国士舘大学に武道徳育研究所というのを作りました。つまり道義なんです。道義というのは道です。これがないと人間社会は形成されません。早川会長と私が感銘した、西郷隆盛の言う道義国家の形成。これは元は吉田松陰です。吉田松陰の教育の精神は道義です。吉田松陰は幕府にその道を正すために直訴して打首獄門にあいました。亡くなって初めて、弟子たちが目覚めました。
道義を正さないといけないと気づいたんです。
道義国家を再建しなければ国は滅びますよ。ロシアがウクライナ侵攻するのは道義から外れていませんか。弱いことをいいことに他国を領土にしたいとは。その点、西郷隆盛は損得がない。
全てを天にお任せしている。天は道義なんです。それを正したのが吉田松陰です。だから幕府がこんなことでは、よその国に取られるよと叫んだんです。
今早川会長がなさっている道義を正すという研究をしなければならないという同じ考えで武道徳育研究所を作りました。
柔道や剣道をするときに礼をしますが、礼をするのが道義です。礼の意味を知らなかったら、ただ頭を下げているだけです。頭を下げることが礼になるなら、バツタでさえ礼をしてますよ。我々はバッタじゃない。心を磨かないといけない。心を磨くのが武道です。
剣道の先生も私の研究所に入りました。剣道九段の大先生も「お前の言う通りだ」と言います。オリンピックでは外国選手も試合の前には礼をしますよね。道義の元は礼なんです。

早川幹夫

私もオリンピツクをテレビで見ました。その中でも沖縄から出た空手の喜友名諒選手。きちっと礼をしていました。

野木将典

あの方は素晴らしい。礼儀の見本です。あの人の型は真剣勝負です。一つ一つのケジメがついている。寸止めの原点なんです。ああいうのを見ると、まだ日本は生きているなと思います。国が声を大にして道義を叫ばないといけない。なのに誰かがやるだろうと、国は思っているわけです。ただ、その原点を行ったのが、嘉納治五郎です。彼は学習院の院長をして、皇室にも道を説いた。嘉納治五郎は柔道家ではなく教育者です。
ある時、戦場で柔道の模範試合をしました。そこで礼に始まり礼に終わると説いたんです。それで柔道は世界中に波及しました。それを私は国士舘大学でやりたいと武道徳育研究所を作りたいと総長に進言しました。

西郷隆盛のように「始末に困る人」の会

野木将典

どうやって日本に道義国家を広めるか。私はそれも研究しました。大河ドラマでみる忠臣蔵。
主君の仇を討つのは道義なんです。道義を正すために忠臣蔵が生まれたんです。それが庶民に浸透して、お百姓さんでも道義を正していました。親孝行も道義。今そういうのは大学が当然やるべきです。早稲田でも慶應でも然り。剣道や柔道を教えている先生が知らないので、その先生方を教育しないといけません。全日本チャンピオンや大先生ですら礼の意味が分からないのですから。道義を理解しなくなったのは戦後です。

早川幹夫

誰かがやらないといけないので、その誰かがしゃにむにやる必要があります。「道義主義の会」の提案で、「道義主義の会」を「始末に困る人の集団」にするべきだといわれました。「始末に困る人」というのは西郷隆盛で、命もいらず、名もいらず、官位も金もいらない人は始末に困る人だといわれました。
こういう人じゃないと、志をともにして、国家の大業を成すことはできないです。吉田松陰は自分のことを「狂」と言います。いい意味での「狂う」。今の時代もロシアのウクライナ侵攻で動乱に巻き込まれそうです。世界動乱の時代は変人奇人が水を得た魚のように跳ね回る。まさに今です。

野木将典

 ウクライナの問題も声を大にしないといけないですよね。アメリカも日本の岸田首相も声が小さい。経済封鎖なんて甘い。小野田寛郎さんはルバング島で30年戦つていた。それで日本帰ったらすぐにブラジルに行らちゃつた。せっかく日本のために戦ったのに、日本を捨てたら良くないと思いました。それで私は「小野田寛郎と語る会」を作りました。小野田さん、30年頑張ったんだから日本のために蘇ちてくれと。
朝日新聞の記事で小野田さんが日本に帰って空港で敬礼しているのを見て、私は彼に会わないといけないと思いました。ドアに新聞の切り抜きを貼って、小野田さんに毎日礼をしましたよ。そしたら小野田さんと会えたんです。念ずれば通じるです。だから道義国家日本の再建は会長が念じたら通じます。

早川幹夫

素晴らしい。どこかで決断を迫られる時がくる。それを覚悟してやるべきだと思います。

野木将典

前に忠臣蔵は道義という話をしましたが、日本の素晴らしいところは主君の仇討ちの物語を美化したことです。だから道義国家を美化しないといけない。美化してもう一押ししないといけない。国政に出るには政治家をどのように燃えさせるかです。今の政治家はあんまり燃えていません。

早川幹夫

日本は民主主義で競争がないんです。今は一人区が多いから、国家をどうしようという考え方が薄れていると思います。

野木将典

 一人区なんて人れたくなくても入れなくちゃいけないしあるいは棄権するしかない。日本はウクライナじゃないけど攻められなきゃ分からないですよ。吉田松陰もお前らは国のことを本当に分かってないと幕府に言っています。今はそういうことを唱える学校が必要です。国士舘大学の創立者の柴田徳次郎はそれを唱えました。武道を奨励したんですが、今は強いだけに終わっています。

早川幹夫

ロシアがウクライナに侵攻する― この21世紀の時代にですよ。日本も大束亜戦争、太平洋戦争の時に、同じような環境にあったなと思いましたね。
我々のメンバーに東北大学の特任教授だった人がいて、その人が国際道義大学を作るべきだと言っていました。

野木将典

まずは10人で集まって声を大にして言えばいい。1人より10人、10人より100人。100人が叫んだらうるさくてなんとか聞かなきゃとなりますよ。吉田松陰が素晴らしいのは、分担を決めたこと。例えばお前は金を集めろと。だって金がないと何にもできないですからね。何をするにしても金は大事。そして同志を集めないといけない。そしたら私は早川会長に会えた。ひとりでに集まるもんなんですよね。共鳴するんです。
大学にも色んな道義がわかる先生がいます。各先生方に「エール」などを通して道義国家を唱えれば、何人集まるか。100人集まったら大きな力になりますよ。

早川幹夫

おっしゃる通りですね。宮崎のある島で、猿が芋を洗って食べることを始めた。そしたら他の猿も真似をした。それが一定数になると、全く離れた島の猿も同じことをした。同じ考えや同じ行動の人が100人集まると、空間を超えて、イギリス、アフリカなどあちこちに飛ぶ可能性がある。だから100人の変人奇人を集めたら、それが起きるんです。お金がある人はお金を出す、知恵ある人は知恵を出す、勇気ある人は勇気を出す。これはこの世に生きる人の義務だと思います。それぞれの特性を活かしたら大きなものができると思います。

野木将典

吉田松陰だって名もない男だったのに、未だに私たちが尊敬している。国士舘だって吉田松陰の精神を学ぶために松陰神社の隣に作ったんです。

ウクライナ侵攻をみて日本も急がないと

早川幹夫

世の中には同じ志の人がたくさんいると思うので、どう会える環境を作るか。そのために中心になる人たちがパワーを持たないといけないと思います。私は私なりに、この人はというのがいるので、10人を一つのテーブルに集めて、自分のできることや得意分野を出して道義主義革命をしよう。その準備をどうやろうかと考えています。
そのためには貨幣という兵力が必要だし、始末に困る人も必要だし、色々なものを整えて、一気に急いでやるべきだと考えています。ロシアのウクライナ侵攻をみて、日本も急がないと大変なことになります。21世紀の今、隣国に堂々と侵攻する。ヒットラーの侵攻に似ています。当時のイギリスやフランスの首相も黙認して、第二次世界大戦が起きた。あの時代ならしょうがないかと思いますが、今の時代に、空港を叩いて制空権を奪らたり電波障害を起こしたり、判で押したような攻め方をしています。
この年に野木代表と出会って、道義国家が再建できるんじゃないかなと思っています。将来、令和の日本人は何もしなかった。明治維新の時代はこうだったのにと、比較されますよ。後世の日本人にいい日本の国を残さないといけない。そのために令和の日本人は行動するべきです。
明治維新の時に吉田松陰や西郷隆盛がやってきたことをみて、自分たちはちょっと恥ずかしいなと思います。具体的には同じ考えの100人の集団を作る。まずは10人がそれぞれの役割をもって行動する。多少は捨て石になる覚悟も必要かなと思います。100人が道義と言っているとなると、周りの人たちの選択肢になり、まだ行動を起こしていない人たちを吸収できます。

野木将典

 私はこれまでにいろいろな会を作りました。みんな発起人になるが続かない。弾切れなんです。吉田松陰には坂本龍馬などが集まりました。どの時代もスタートがあり、今がスタートなんです。 一歩前に進まないといけない。ウクライナが攻められているけれど、みんな叫んでいない。政治家に任すのは間違えています。だから会長がスタートするなら、私は喜んで命を懸けます。そろそろやらないと。100人なんてすぐ集まりますから。この道義主義の会のことを「エール」に記載されるのは非常に喜ばしいことです。ただ集まつただけでは自己満足に終わってしまいます。私はモンゴルから照ノ富士を連れてきました。相撲界にそういう人間を集めないとだめだと思いました。それにはお金がいるんです。
だから誰もやらない。でも、やればできる、やれないことはないんです。
私が会長になっている日本エチオピア協会は、日本とエチオピアの友好親善です。たとえばアパートの入居の保証人になったりします。金にならないので、みんながやらないから私がやっている。損得じゃないです。日本道義の会も道義国家をつくるために早川会長が適任だと思います。吉田松陰も気構えがあったからできたんです。吉田松陰に傾倒した人が明治維新を起こしたようにぜひ令和維新をやってください。

早川幹夫

今おっしゃったように、100人の同士。それを具現化しましょう。

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