2023年エール10月号 早川幹夫×加賀武志氏対談
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日本道義主義の会 対談
日本道義主義の会会長 早川幹夫
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一般社団法人産学官連携ネットワーク加賀武志
日本人は昔から道義の心をもって
暮らし続けてきた
早川幹夫
日本道義主義の会会長。1948年鹿児島県奄美大島生まれ。拓殖大学卒。琉球大学文部事務官に就職。その後沖縄・東京で人材派遣会社を起業し、現在に至る。西郷隆盛の生き方に感銘を受け、混迷する現在の世界の政治と経済に道義主義を唱える。著書に「一箇の大丈夫 西郷吉之助」「道義国家を目指した西郷吉之助」「始末に困る人 西郷吉之助」などがある。
加賀武志
一般社団法人産学官連携ネットワーク
昭和34年宮城県生まれ福島県育ち。東京大学法学部卒学生時代に社会教育家穂積五一氏の主宰する新星学寮でアジア留学生と過ごし薫陶を受ける。寮の先輩には岸信介、村山富市両首相等らがいる。民間企業公益法人等を経て東京大学研究員東北大学特任教授等を歴任する。現在法人に勤務し、左右思想を超えた、日本本来の思想や道義主義および「あるべき国体」について研究を行い、定期的に講演し、思想の普及と実践活動を行っている。
道義主義のおおもとはインド哲学にある?

今世界は自由主義思想と民主主義思想に資本主義が加わって行き詰まっています。昔から思想が行き詰まると戦争になると言われています。今まさにロシアとウクライナの戦争が起きています。犬や猫には「道」はないですが、人間は、ものを創造する。自由意志を持つ。この二つを持って、文明が進化した。そういう中で、根底に人の道、「道義」という概念が必要だと思っています。
殴ったり蹴飛ばしたりしてもこれ以上やったらおしまいだよという人の道を思想に加えないといけない。そこに天下布道の道義という概念を普及したいと思います。加賀先生は今、道義主義の会で道義主義について講義をしていますね。

私は、2〜3年前から道義主義の会に参加し始めまして、道義主義について勉強してきました。西郷隆盛の人生とか伝記に関心を持つ方が多いですが、私が思うには、西郷隆盛がなぜそういう考えに至ったかという西郷隆盛以前の思想を含めて道義主義を調べ、ある結論というか考えに至ったので話させてもらっています。
西郷隆盛は江戸時代の武士ですから、儒教、国学、仏教など様々なことを勉強されてきたわけですけど、そのおおもとはどこにあるのかと思った時、インドの哲学の中に道義主義の最初の考え方があると知りました。
今から2700年くらい前にインドの哲学者、ヤージュニャ・ヴァルキヤという方が、宇宙の根本的な原理と人間の仕組みは実は同じだと言いました。逆にいうと、自分たちがここにいるということは、それまでの宇宙を作ってきた何かや仕組みが自分たちの存在を肯定してるからここにいるのだと。
そこまで考えると、西郷隆盛が言った敬天愛人という考えが、自然を敬って、隣人を愛するというようなことではなくて、そもそも自分がここに存在している意味や意義に思いを至らせば、自分も隣人も動物も草木もみんな同じ立場にいるのだからお互いの存在を認め合うというのが、インド哲学からみた敬天愛人の考えです。その後にまた南洲遺訓なり論語などを読むと、天は物理的な天ではなくて、精神的なもの。もしくは地球自体を動かしているものだということがわかりました。

鹿児島に行くと、「敬天愛人」という言葉はあちこちで見ますが、表面的な字面しか受け止められていない。

敬天愛人の英語の訳は、レビア・ヘブン・ラブ・ピープル、レビアというのは敬うという意味で、天国を敬って、人を愛するというわけです。天は天国(ヘブン)という訳です。キリスト教は天国に行けるかどうかが最大の審判なので、天国を尊重して隣人を愛するという訳になったんです。この英語訳を逆輸入して、ほとんどの日本人は、自然を敬って、隣人には優しくしましょう程度の意識しかない。

私は最初、敬天愛人という言葉が嫌いで、恐ろしい言葉だと思ったんです。なぜかというと、例えば加賀さんに、私が300万円貸したとき、催促しても返さない。それでも自分の弟や息子がそうだったとしたら、責めるでしょうか。そういう考えに近い。
例えば35歳の母親がいて、一歳の黄色人種、二歳の白人、三歳の黒人の子どもがいたとしたら、お腹を痛めて産んだわが子は同じようにかわいがる。それが極小の敬天愛人。どんな人種だろうと分け隔てがない。だけど西郷隆盛は、「天我を生みて天我を殺す」。「天意を識らば豈あ に敢えて自ら安きを謀らんや」と言いました。西郷隆盛が天の心を知るならば、どうして自分が自堕落な生き方ができるだろうか。自分自身が成長して、天意を継ぐくらいの想いであってほしいと。
「道」とは自分と同じ法則であることを知る

もう一つが、道義主義の「道」です。それについても、西郷隆盛関連の本ではあまり深く研究していません。「道」はどういう背景にあるのかと調べていくと中国の孔子、老子に至ります。
中国では道のことをタオといいますが、タオの思想は奥が深くて、これはインド哲学に匹敵するぐらいの深い意味がある。敬天愛人にもつながりますが、タオは人類が生まれる前、何もない混沌から存在しているもので、なおかつ今も自分たちの周りを支配しているものだといいます。
論語の中に、朝、道のことを聞いたら、夕方に死んでもいいという言葉がある。普通は道というと、どこからどこまで行くとか、柔道、茶道など、決まった方向とか生き方のことだとすると、それを聞いて、本当に死んでもいいというのはおかしい。
なんでそんなことを知っただけで自分の人生に満足したと言えるのか。西郷隆盛も「天道」と、道のことを言っているので、そこを知らないと道義主義のことが分からないと思って調べました。
そしたら道というのは先ほど言った何もない混沌からあって、なおかつ実態というものが人間には分からないけど存在している。それが何かの法則に従って何かに向かっているという漠然としたもの。天の姿そのものなので、天と自分が同じ法則で生きているということであれば、道というものが自分と同じ法則なのです。
なるほど私はそのために存在して生きているということに気がついたら、それは自分の人生の目的を悟るという考え方です。だから私は道義主義の会で人々を助けたいと得心、腑に落ちたらそれを極めてみんなに伝えて、後継者に委ねていけば自分の役割は終わります。
実はインドの人が最初に天と自分は一体だと言っている。その考え方と老荘思想の「道」という考え方は同じなのです。
西郷隆盛はいつそういう考え方に至ったか。それは西郷隆盛が沖永良部島に流されて、生死の境で何ヶ月も獄中にいた時に、自分の生きている意味は何だろうかと考え、そういう境地に至ったと思います。沖永良部は西郷隆盛にとっては大きなターニングポイントになっていたんですね。

西郷隆盛が入っていた囲い牢には壁がない。蟻や虫がいっぱい入ってくる。トイレも穴を掘って、そこに糞尿をしていました。そこで、瞑想し、書物を読んでいたのです。牢役人が西郷隆盛が痩せてこのままでは牢死してしまうと言って、時の代官に西郷隆盛の島流しの時の命令書を見せてくれと言った。そしたら囲い牢にて、と書かれているだけで、外とも内とも書かれていない。そしたら自分が金を出すので、自分の家に座敷牢を作るのでそこに移してもいいかと願い出て座敷牢に入ったのです。

この辛い時期に西郷隆盛は敬天愛人という考えに確信を持った。

自分が生きるか死ぬかは自分の権限じゃない。生に頓着しないで、起きている時は座禅を組み読書して、日が落ちたら眠る。それを繰り返す。それで自分が生かされているというのを感じたんじゃないですか。
西郷隆盛は「助けてくれ」と言っていないのに、牢役人の土持政照が、このままでは牢死してしまうと、わざわざ代官に申し入れした。

死んでもおかしくなかった。本人は生き死にも自然体だと。老荘思想の無為自然。自分を超えたものの中で生きている。南洲遺訓の中でも、「意なし、必なし、固なし、我なし」。そういう色んな作意や考え、欲とかこだわりがない無私の自然体の人が国を治めるべきだと話されている。

今は全く逆ですからね。逆の人しか選挙に当選しない。
聖徳太子の一七条の憲法 礼を物事の基準にせよと

道義国家を早川会長は目指されていますが、最近発見したことで、聖徳太子の十七条の憲法、四条から同じような考え方をみました。一条は和をもって貴し。二条は篤く仏法を敬え。三条は天皇の命を承れば従いなさい。四条が「軍卿はみな礼を物事の基本とせよ」です。
礼は儒教は上下関係や礼儀ですが、日本の場合は敬いや礼節。日本は「上の者の行いが礼に敵わなければ、下の者は秩序が乱れ、下の者に礼が失われれば罪を犯すものが出てくる。
役人に礼が保たれていれば、序列も乱れず、一般の人に礼が保たれていれば国家は自ずと治まるものである」と書いてあります。

これを聞くと、西郷隆盛は十七条の憲法を読んでいるのかなと思いますね。

一般の人に礼が保たれていれば国家は自ずと治まる。これこそ道義国家の形です。
日本では縄文時代から道義の考えはあったんじゃないかと思います。
ただ、言葉にすることが得意ではなかったので、漢字が入ったり、仏教や儒教が入ってきて、それを借りて日本の伝統を説明して、知識人だった聖徳太子はこういう憲法にした。
しかし、先ほど言いましたように儒教の礼と日本の礼は違う。なぜなら日本には話し合っていけば自ずと道理が定まるということをやってきた。また、ご隠居さんが利害関係を超えて、人の道を言ってくれる。そういう社会が続いていたものですから、聖徳太子の後も今まで続いている。道義主義ということの基本はやはり共同体を話し合いによって一人も落伍者を出さない形で維持していく。それが日本の基本です。
元々アジアの中では自然の多様性尊重の考えがあり、同じ世界の中に共存しているのだということをインドの人が言いました。その思想が中国に来て、老子と荘子がインド人と同じくらいの考え方をした。
侍はみな儒教を勉強していたので西郷隆盛のことはそれを前提に話すのが道義主義といえるでしょう。戦後儒教を封建主義だと教えなくなったので、西郷隆盛が言っていることが表面的にしか伝わらなくなった。
民が礼を行えば自ずと治まるのが道義主義国家であると。それを、日本中に広げていくことが、私や早川さんの道だと思っています。

次に本を書こうと思っているタイトルは「道を行うもの西郷吉之助」。やっぱり何をもって道というのかというのは、深く考えないと分からない。

柔道でも剣道でも日本では道がインフレ状態。政府や会社の不祥事で道義に反すると言っても、それはあなたにとってはダメでも、私にとってはOKというような曖昧な基準です。実は江戸時代、明治時代の知識人の中でははっきりしていた。
道義に対する基準が曖昧その認識を広めてゆきたい

そういう面では、今は水平器のような基準というのがない。人間としてのバランスを図るのが無くなっているんじゃないかな。

それが曖昧になっているのでやったもの勝ちみたいになっている。でもそれは明確な基準がある。そういう基準を今後みなさんが持つことが大切じゃないですか。

五重塔に心柱というのがありますが、それが建物のバランスを取る。それが人間にも当てはまって、人間が善と悪で揺れることがある。
自分なりの尺度があるけど、心柱をもってしてバランスを保つ。そういう自分自身の基準は大体共通するということですね。

そこが戦後は否定されてきたので、それを表に出して、みんなで共有していく。それが道義に反するというのかどれだけかというのを明らかにしていく。みんなおかしいと思っても法律ではおかしくないから泣き寝入りするしかない。そういうズルを上に立つ人が認めるというのが、どれだけ日本社会を劣化させているか。断固として声を上げていかないといけない。
それを話し合ったり研究したりする場を広げていこうと思うわけです。

これからの人類を考えると、足るを知るというのが必要と思いますね。ライオンは腹一杯になると目の前にウサギが通っても襲わない。でも人間だけは飽くなき欲求で悪いことを行う。

「目覚めのいい人生を送る」のが大事。よく日本人が中国人や韓国人より弱いと言われる喩え
として、中国人は子どもの教育で人に騙されない人になりなさい。韓国人は人に負けない人になりなさい。日本人は人に迷惑をかけない人になりなさいと言います。
三人が競争したら日本人は勝てませんと言いますが、人に迷惑をかけないことは、次の日朝起きても今日も良い一日過ごそうと前向きになれる。それも道義の一つの形。そういう意味で日本人は全員が既に道義主義者なのです。それを自覚できるように、場を通じてみなさんに理解してもらえればと思います。

南洲遺訓に書いていますが、西郷隆盛が田舎で風呂に入っていた。
それを見た人が西郷の精神が爽快そうに見えたので、どうしたんですかと聞いたら、君子の心はこのようでありたいと言ったそうです。雨が上がった後の夜の月は光ふ うこう風霽せ い月げ つの如し。君子の心はかのようにあるべしと。風呂上がりのさっぱりとした気持ちですよね。

行水して汗を流して素に戻る。
その気持ちですよね。私は学生時代に西郷隆盛みたいな道義主義者と生活をしていたので、その人が書いたものは道義主義の会に来るまでは理解できなかったのですが、道義主義の会に来ることで、その人が書いた文書とか本の内容が少しずつ分かってきた。早川会長には非常に感謝しています。