2024年エール1月号 早川幹夫×大石不二夫氏対談
道義主義の会新春対談
全文掲載
日本の100年先を変えるために
幼いころからの教育は大事
早川幹夫 MIKIO HAYAKAWA
日本道義主義の会会長。1948年鹿児島県奄美大島生まれ。拓殖大学卒。琉球大学文部事務官に就職。その後沖縄・東京で人材派遣会社を起業し、現在に至る。西郷隆盛の生き方に感銘を受け、混迷する現在の世界の政治と経済に道義主義を唱える。著書に「一箇の大丈夫 西郷吉之助」「道義国家を目指した西郷吉之助」「始末に困る人 西郷吉之助」などがある。
大石不二夫 HUJIO OHISHI
1940年東京生まれ。中学3年末~高卒まで国策パルプ本社ビルのエレベーターボーイ。都立化工高を卒業後千代田化工建設㈱1年間。東京都立大学工学部卒業後国鉄本社採用で鉄道技研(財)鉄道総研にて研究・開発。50歳~神奈川大学理学部教授研究・教育に20年間。その後帝京大学短期大学教授、客員教授。【受賞】1983年鉄道効績賞。1985年高分子学会賞、環境庁環境賞。1990年JREA優秀論文賞。マテリアルライフ学会論文賞2回、2003マテリアルライフ学会功績賞等。
学術は身近なものだと認識したい

現在、道義主義の会の学術顧問を仰せ使っています。会に入ったのは5年ぐらい前で、道義主義に共鳴しました。日本は道義の国であるべきだし、かつてはそういう思いの方が多くいましたね。
今、私は「楽満斎太郎実録一代記」という著作を電子版で出したばかりです。楽満斎太郎は明治、大正、昭和まで活躍した日本料理の匠です。
高等科を中退し家出して大阪で料理の修行をし関西料理をマスターし、板長になる寸前に徴兵検査で故郷に帰りました。
徴兵検査を終え大阪へ戻るとき、津幡駅で大阪と反対の東京行の列車に飛び乗りました。彼は大阪で板長になるという道をやめて、将来は首都東京だ! と決断したんです。
東京のトップクラスの料亭でまた皿洗いからはじめて東京料理を習っているときにパリの日本大使館のコックに立候補します。洋食とフランスの家庭料理もマスターし、帰国後は大正天皇・皇后両陛下の料理番に就任しました。その数年後、芝増上寺で料理屋を始めました。現在の前菜を最初に始めた人で、日本料理の権威です。
武蔵五日市へ招かれ高級料理屋を任されましたが、廃業し近くの山の麓に自給農園を築き自給自足の生活をしていました。
私は26歳の頃同じ町内へ移住し、楽満老人と出会いました。週末ごとに樂満農園を訪れ、彼の見事な生涯を聞いて、密かに記録をとりました。神奈川大学を定年退職して、帝京大学で講義を続けながら、推敲を重ねて完成し、ご家族の了解を得て、AmazonKindle版で電子出版しました。
その楽満さんが道義の人なんです。卑怯なこととか一切しないで正々堂々と生きた人です。
私は26年間鉄道技研と鉄道総研にて、ゴムやプラスチックの研究・開発に励みました。その間、国鉄改革からJRへの移行を経験しました。その苦労話やリニア中央新幹線の基盤技術の開発を母校の東京都立大学や神奈川大学の生涯学習セミナーで講演しています。私は好奇心が非常に強くて、興味を持つたらチャレンジする。それが私の信条で、八十歳越えた今でも続けています。

先生に道義の会の学術顧問になってもらったのは、やはり様々な学術的なものが私たちには大切だと思うからです。この前は道義の会でリニアモーターカーを映像で流しながらお話されましたね。
我々は学術というのははるか遠くにあると思ってしまっているんです。特定の人だけがやっているものと考えます。
発光ダイオードをアメリカで研究されてノーベル賞を受賞した中村修二さんみたいに日本を離れ、向こうで研究をやってしまう。それはもったいないです。科学や学術の研究は目先ではなくて長期的なスパンでやる。そういう戦略を持たないと日本は損してしまいます。
日本政府は性急に考えすぎていますね。5年、10年と長い目で学問に投資をするべきです。長いスパンでやれる体制や仕組みにお金と時間をかけて人材を集めることが必要だと思いました。
だいぶ前は日本は半導体で世界の半分以上のシェアを占めていました。本来なら政府はそれを保護しないといけないですね。
そういう意味で、学術、研究を遠く離れた存在ではなくて、我々の身の回りにあって、人類の発展に貢献しているんだという意識をみんなに持ってもらう。そういう意味でお願いしました。目の前のことではないことを意識する人がいないと、独りよがりや自己満足に陥ってしまいます。先生のような方のお話は若い人を集めて聞いてもらいたいです。年配で固定観念を持っている人に、大石教授が話された先ほどの楽満さんの伝記とかを話してもピンとこない。
やはり若くて無の状態の人でないと「ああ、そうか」という感覚になりません。経験が積み重なって「自分」を持ってしまうと、話を聞いても情報の一つに過ぎないと軽く考えてしまう。若い人に対する勉強会をすべきです。
人生科学はいかが?
進路選択に悔いの無いように!

私は道義の会に入る一つの理由としては、歴史が好きで、特に幕末や明治維新に興味があっ たのです。西郷隆盛や大久保利通だけではなく、長州の村田蔵六(後の大村益次郎)も道義の人で大好きです。
もし大村益次郎がいなかったら官軍は勝てなかったでしょうね。
私は若い頃歴史が大好きでしたが、歴史では飯が食えない。父は先生ではなかったが、女子高等師範に勤めていたので、私が小学生の時、「読みな!」 と教科書を何冊かくれました。歴史や地理など色刷りの素晴らしい本でした。面白かったので、「世界の四大文明」を要約して中学校新聞に載せたり、少年読売新聞に投稿し掲載されました。
私が小学校を総代で卒業した日に、父が結核を発病して休職したため、中学三年の三学期から高校三年間、夕方エレベータボーイを日比谷のオフィスビルで続けました。高卒で1年間千代田化工建設研究部に勤めた後、都立大理学部に入学しました。1年生の後期末の寒い朝、父が亡くなり、工学部工業化学科へ移りました。
50歳の時に、鉄道総研から神奈川大学の新設の理学部化学科へ移りました。
大学では専門の高分子化学のほかに、物性論という、物の性質は何で決まるかという講義もしました。それをヒントに「人生科学」すなわち、進路選択など人の行動はどういう因子で決まるのかを研究しました。
人生航路には海図がありません。その場その場で感情的にコースを選び後で後悔する。科学的に種々のコースを提示しシュミレーション出来たら面白いなと思ったのです。
進学や就職や結婚などの人生の分かれ道についてまとめ、月刊誌に20回ほど連載しました。

今の先生のお話を聞くと、自分の進むべき道を決めて、そこに経験値を作るのはいいですが、最初から経験値だけで自分の方向性を決めるのはどうなんだろうと思いました。
私は西郷隆盛の遺訓集を読んで、西郷隆盛という男は若い時から自分の行く道を見つけています。たとえば自分がどういう人間を理想とするか、目的を決めて、その後で官僚になるなどをきめます。
そこで付け加わるのが経験で、先生が仰ったような人生の地図とか、理論でいえば演繹法とか帰納法とかありますね。やっぱり自分はこういう人間になりたい。そのためにどういう訓練が必要なのだろう。それぞれが設計と目標を持つ方法はさまざまですが、そういうことが必要かなと思いました。
経験で人生観を作る人が多い。最初からこういう人間になりたいという目標を決めて、必要なものを積み重ねるような生き方を西郷隆盛はしています。
経験を積むと様々な経験で右往左往してしまう。千差万別な生き方の中で科学的に進路を決めるのはありですね。

たとえば離婚。今は離婚をする人が多いですよね。夫婦関係がうまくいかない時の選択肢ですが、それを科学的に判断してみる。普通は感情的に判断しますが、それを科学的に判断して、こうした時はこうなる可能性が強いと解いていくと冷静な判断ができます。何でもそうですね。仕事とか、進路もそうです。

少年時代に中国の孟子や孔子の哲学書を読んで、こういう風になりたいなと憧れる。今だと大谷翔平みたいになりたいなというのを決めて、そのためにはどういう練習が必要かを考えていきます。
大谷翔平さんは中村天風を若い時に知りましたね。中村天風の本で自分の進むべき道と、行くべきやり方の目標を持って、それに近づけるために、様々なファクタをつけて、一つずつチェックしていく。
自分の人生の設計図を作って、多少の修正は必要ですが、そこにいくための科学的なものを付け加えていく。ところが一般的には経験をもとに自分の在り方や生き方を作る人の方が多いですよね。

指針があった方が大きな間違いは少ないし、一時の感情で選択して後悔する人生は大嫌いなのです。

素晴らしいですね。僕は行き当たりバッタリの人生で…。

私は納得のいく人生を送りたい。西郷さんみたいな方は千年に一人でしょう。
ジャーナリストの大宅壮一がアフリカの新興国に行くと、「わが国も明治維新をやりたい」と言われる。そのとき「日本の明治維新は何百年もの蓄積がある上に西郷さんや大久保さんのような偉人が出たからできたのだ」と答えるそうです。

教育は大切だと思いますね。
同じ人間であるにもかかわらず、アメリカの大富豪の大学教授の子どもに生まれるのと、難民の子どもに生まれるのは大きな違いです。江戸時代末期にジョン万次郎が14歳ぐらいで漂流して、アメリカ東海岸に連れて行かれて教育を受けさせられた。

彼は素晴らしいですね! もし万次郎が居なかったら明治維新も危なかったですよ。

彼が日本に帰りたいというので捕鯨船の船長が取り計らって琉球におろした。沖縄の藩在番所から、変なのがいると聞き、島津斉彬が鹿児島に連れて帰って、三ヶ月滞留させて根掘り葉掘り聞いたそうです。それで色々な知識を得ました。

明治維新では彼は情報提供だけでなく通訳としても大活躍しましたね。ジョン万次郎は頭もいいし、好奇心や向上心が旺盛だったんでしょうね。
当時漂流した船乗りはけっこういたんですが、そこまでやった人はなかなかいません。明治維新の時に万次郎や西郷さんなど、そういう人々が濃縮されたのが良かったですね。

結合したんでしょうね。
小さいときから挨拶やマナーを
学べば日本の将来は明るい

公益社団法人マナーキッズ・プロジェクトという団体があります。子どもたちに骨盤を立てる正しい姿勢を教え、マナーや挨拶ができるようにする。その運動を20年やっている団体です。その田中日出男理事長が私と同い年で。私も協力しています。やはりこのようなことは小さい時からやらないと。私もよく言うのですが、大学生を卒業研究で預かるが1年間で変えるのは大変なんです。大学院までいくと3年間なので、3年経つと人相まで変わります。
やっぱり教育はできるだけ幼いうちからやっておかねば。田中理事長は三菱化成の常務から子会社の社長をやって、やめてからこの運動を始めて20年になります。
何故始めたかというと、自社の社員でもろくに挨拶できない人や姿勢の悪い人がいる。幼い時のしつけが大事だと気付き、この活動を始めたのです。現在は内閣府がその活動に予算をつけてくれ、活動もさらに活発になりました。
未就学児に「こういう風に座るんだよ」と教え、楽しく姿勢やマナーを身につける。それを道義の会と連携して行いたいですね。
時間はかかりますが子どもを立派にしないと良い国にはなりません。
子どもは純粋で、雑念がないから幼稚園児でもきちんと話を聞いて、姿勢やマナーが良くなるんです。
大学生だと、これは本当なのかと冷めちゃう。すでにマナーキッズでは延べ200万人の実績があり、現在人口3万人くらいの市や町でそのような活動を開始しています。市や町はお金を使わないで、国の予算を使って子どもを教育するチャンスです。

その思いがないと変えられません。無理矢理でもやるべきだと思います。100年後の日本のためにはそういうのが一挙にできればいい。そこで教育された3歳が20年後には23歳になるし、その人たちがいい国にして返してくれる。またその人たちがそういうお子さんを教育してくれて、より良い国になっていく。
マナーであったり、考え方であったり、姿勢や挨拶をしっかりさせる訓練をすると、その人たちが親になって、その子どもに同じような環境を整えることができます。

それに姿勢を正しくすると健康にも良いですからね。私は「健康寿命をのばそう会」を創り代表をしています。その会は私自身が体験して良かったものをみなさんに紹介する。
たとえばアンチエイジング。サプリを飲むとなにが良くなるとか宣伝してますが果たして本当でしょうか? 健康寿命をのばそう会では、私が体験して良かったものを製造元と交渉して、代理店の値段で頒布しています。また、電磁波療法や光線療法もあります。
「病気になる人は愚か者か怠け者」
とトルストイが言いましたが、それに私が追加するのはケチな人。健康の維持にはある程度お金がかかるが病気になる前の未病の段階で止めるべきです。
生物は基本的にお産ができる年の10倍生きるんです。人間は125歳という説もありますが、生物としての寿命はこれ以上伸びません。長寿社会といっても亡くなる前の平均10年間は不健康になりますよね。その期間をいかに縮めるかということです。糖尿病、認知症、鬱病にも良いサプリがあって喜ばれています。
今、日本の健康保険がパンクしそうですね、国家財政上も健康寿命を伸ばさないといけないので、この活動を広めたいと思っています。