西郷党BLOG

宇宙に立つ 西郷吉之助 p052 第六章-01

一箇の大丈夫西郷吉之助

新しいタイプの人類

時代の大変動期には新しいタイプの人間が出現しやすい。平時や太平の時代、国運隆盛な時代には、このタイプの人間は必要とされず出番がない。国運が衰退し歴史が曲り角にさしかかると、必然的に次の時代を切り開くため、新しいタイプの人間が出現する。その最たる者は織田信長であろう。誰が見ても新しいタイプの人間である。百年間続いた戦国時代を新しいタイプの人間らしく新思想でもって見事に平定した。

江戸時代、幕末という日本史の曲り角にもこのタイプの人材が出現している。一般的にいえば、その代表は坂本龍馬であろう。高杉晋作、勝海舟、吉田松陰といった人物を挙げる人がいるだろう。伊東博文、井上馨、大隈重信や福沢諭吉といった開明改革派の人物もそうではないかと思う人がいるであろう。しかし、彼らは欧米の進んだ科学技術、産業や文化を積極的に取り入れ模倣し、日本に合うようにアレンジしたにすぎない。新しいタイプの人間とはいえない。

新しいタイプとは、信長のように信長以前の日本人には考えられないような思想や行動学を持っている人間である。異種の人間である。坂本龍馬であっても、信長のような異種ではない。信長は武士でありながら、商人のような感性を持ち、市場性を重視して、良いものは良い、悪いものは悪いと取捨選択できるバランス感覚にすぐれた革命家であった。坂本竜馬は明確な思想や行動哲学があったわけでなく、現代風な感性を伴った個性のおかげで、新しいタイプの人間のようにみられるのである。高杉や松陰や海舟にしても新しいタイプの人間とは言いがたい。

西郷ファンである私は、西郷こそ信長と似た新しいタイプの人間ではないかと思う。しかし、一般的には西郷は、旧体制から抜け出せない古いタイプの人間であるとみられがちである。写真嫌いであったとか、新政府になじめず職務を投げ出し郷里で隠棲していたとか伝えられる。また、旧主久光より上位にあたる正三位の位階を賜ったが、封建時代の人間関係にしばられていたため、この位階を返上したとも評される。西郷の書簡や伝聞などをもとにして、古いタイプの人間であったと決めつける人が少なくない。果たしてそうであろうか。

『遺訓』に表れている西郷はそうではない。「至誠」「正道」「道を行う」などの西郷の言葉は、明治初頭の「西洋」や「文明開化」に比べたら、いかにも旧時代的であり新鮮味のない過去の言葉のように思われるであろう。しかしながら、それは言葉のもつイメージであって、西郷がこれらの言葉を用いて表現するものは、人間の本質であり人間のあるべき姿であり、人間の生きる目的であり理想である。そして、それを国家にも及ぼすことを考えている。

政治は政治家が単に「政治を行う」という目的のためにあってはならない。一部(政治家)は全部(国民、人民)の委託を受け、全部の生活を向上させるために存在するのである。一部があって後に全部があるのではない。全部があってその中の一部が全部をよくするための労を取るのである。それが、人間という動物が形成する集団の運営法であり、天地自然に添った宇宙の法則であると西郷は考えている。
「廟堂に立ちて大政を為すは天道を行ふものなれば、些とも私を挟みては済まぬもの也。いかにも心を公平に操り、正道を踏み、広く賢人を選挙し、能く其職に任ふる人を挙げて政柄を執らしむるは、即ち天意也。夫れゆえ真に賢人と認むる以上は直に我が職を譲る程ならでは叶はぬものぞ」新政府は成立して間もないころ(明治四年十一月〜六年九月)、岩倉具視を正使として大久保、木戸、伊藤ら四十数人の政府高官を遣欧米使節団として欧米に派遣した。

その間二年近く西郷は留守政府の首相ともいうべき立場にあった。これは、その西郷の政治姿勢である。政治は何のために、誰のために行うものか、その目的を表している。「天道」を西郷がどういう意味で使ったかは明確には分からないが、『遺訓』では「天は人も我も同一に愛し給ふ」と述べていることから推測してみる。「天」と近い行為を行っているのは、幼子の兄弟姉妹を誰彼と区別せず無私に近い思いで接することができる母親であろう。この母親を究極にまで拡大したのが、「天」という万物の創造主であり、大いなる善の意思だろう。ミクロ(極小)の視点では、「天」の意思は、幼子を区別せず兄も弟も姉も妹もともによく育ってよき人生を歩むことを願う母親の思いである。これを人類すべてに拡大したものが「天」の思いであろう。

西郷の思いの中にある「天」とはこのようなものであろう。それゆえ、政治は母親が幼子に接する思いをもって国民に接しなければならない。それが「天道」に添うことであり、政治とは「天道」が何かを知り行うものである。母親が幼子に対して私心を持たないように、政治家もまた私心を持たずに政治に当たるべきである。西郷はこう唱える。このような考えを持った政治家や権力者が日本の歴史の中でいたであろうか。世界史においてもいたであろうか。二十一世紀の日本に、西郷のような考えを持つ政治家がいるだろうか。日本史においても世界史においても西郷は異種の人間である。しかし、本当は人間誰しも西郷のようであらねばならない。そういった意味でも、西郷は信長以上に新しいタイプの人間である。

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