第四章 廃国置県
8 人類の未来へ
東京上野公園には西郷の銅像が立っている。二〇一四(平成二十六)年の地球人類七十億を見てどう思うだろうか。西郷は天の視点で人を見ようとしていた。その天の目には、地球上の人類は乳幼児と子供と青少年と大人と老人、そしてそれぞれの男女の違いしか確認できないのである。
人類の未来を担う子供と青少年すべてに、人類の進化の遺産である知識を平等に公平公正に学んでもらう。人類の発展に貢献した老人には、余生を不安なく安心して生きてもらう。これが人間に対する天の思いであろう。経済の発展で人間の生活環境はますます利便さを増し豊かになっている。その豊かさは物質的なものであって精神的な豊かさにはなっていない。経済の豊かさが片寄っているのであろうか。世界各地で紛争は絶えない。
自由主義・資本主義・貨幣経済では経済的豊かさは平等ではあり得ず、経済格差と貧困は当然の結果であって、それはいつまでも変わることはないのである。人々はさらなる経済的豊かさを追い求めるあまり、人としての成長や道義的なものより物質的豊かさに価値があると見なしてしまう。これではどんなに経済が発展し人々に物質的豊かさをもたらそうとも人間の我欲を増大させるだけである。国家間の紛争や個人間の争いは増えても減ることはないだろう。再び天の意思で人類を見てみる。バランス良く発展し進化するには、人として成長すること、そこに価値があることを意識しなければならない。そうすることで本能に近い物欲とのバランスが保たれ、自動車にブレーキとアクセルが備わってはじめて安全に進めるように、人類はスムーズに発展し進化していけるのである。経済が拡大発展して生活が豊かになればなるほど、物質的欲求も増大してくるため、その我欲を節度ある状態にコントロールすることも大切である。
かつて人類は天賦人権説を抱いた。それによって今日のさまざまな人権が確立され、多くの人々が当然のごとくその恩恵を受けている。人権と同様に、「人として成長すること」それは天が人間に課した義務ではないだろうか。天は人間に人権を与えたが、次に天が願うのは人類の正しい調和のある発展と進化であろう。人間は天賦人権を切望したように、人としての成長こそ天が与えた課題だと意識しなければならない。それによって物質文明を質の高い調和のある文明にすることができるのである。
天の意思もそこにある。「天は人も我も同一に愛し給うゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也」
「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己れを尽し人を咎めず、我が誠の足らざるを尋たずぬ可べし」
「聖賢に成らんと欲する志無く、古人の事跡を見、迚も企て及ばぬと云う様なる心ならば、戦に臨みて逃ぐるより猶卑怯なり」
これらの西郷の言葉を見て思うのは、西郷がいかに「人として成長すること」を重視していたかである。いずれも人として乗り越えなければならない永遠の課題であり、真の生きる目的とさえ言える。大いなる志、大いなる思想はその時代を必ずつくると言う。人としての成長は無限大である。そしてこの無限大の可能性により多くの人が挑戦し、己自身を拡大発展させることで、それぞれの生きる目的を探求してほしい。これが道を行う者西郷が二十一世紀の人々に願うことである。