西郷党BLOG

仕末に困る人 西郷吉之助 2p037-第三章_14

仕末に困る人西郷吉之助

第三章 聖賢への道

勇は養うべし

勇気というものは養わなければならない。西郷は物事を成す上での勇気の大切さを説いている。どんなに仁(慈しみ、思いやり)があっても、どんなに智(知識)があっても、一片の勇がなければ仁も智も役には立たず、本物の仁や智ではない。仁は勇という行動が伴ってはじめて仁という行為になるのである。同様に智も勇という行動が伴わなければ、それは単に知識として頭の中に入っているだけで、本当に知っているとは言えない。
たとえば、蒸気機関車があって水も満たしてある。レールも敷かれてある。しかし、勇という石炭を燃やさなければ、レールの上で停止したままである。仁と智を行動に至らしめるには勇という行動エネルギーが必要なのである。それゆえ、勇気は常日ごろから養い育てておき、いつでも行動エネルギーに点火できるように準備していなければならない。また最初は小さな勇気から少しずつ大きな勇気へと養い育てなければならない。

しかし、それは匹夫の勇(思慮分別がなく、ただ血気にはやる勇気)であってはならない。その勇は孟子の言う天地の間に充塞する正義の気、天地自然の道として人が行う道義にもとづく「浩然の気」でなければならない。この気にもとづく勇気であれば、たとえ目の前に百万人の大敵が現れても、自ら正しいと信じるなら、立ち向かって行くことができる。聖賢の道を志すならば、この勇を養い育てておかなければならない。
現代の日本では勇気ということが取り上げられることは少ないが、私は人間が生きていく上で一番必要なのは勇気でないかと思う。「命もいらず、名もいらず官位も金もいらぬ」という仕末に困る行為も勇気がなければできないことである。人生のさまざまな局面でも勇気が必要とされることはいくらでも出てくる。自分の過ちを直に認めることや、妙なプライドを捨てることや、権威・権力・脅しに屈しないことや、自ら正しいと思ったことができること、これらはどれも勇気がなくてはできないことである。

人生を迷うことなく、強くたくましく生き、そしてなによりも楽しくおもしろく生きるためには勇気が必要であると私は思う。誰しも勇気を本能のように持って生れるわけではない。生きていく中で自身の勇気を持つほかない。勇は養うべし、養い育てて小勇を大勇に育てなければならない。

PAGE TOP