第五章 四海同胞
8 西郷の思想と哲学は今こそ世界に必要である
現在の混迷する世界の政治と経済を見ると、今こそ世界の人々に西郷の思想や哲学が必要とされるのではないだろうか。これまでアーネスト・サトウや『遺訓』や「与人役大体」を通して西郷を見てきた。
西郷は「人間」という無限の可能性を持つ偉大な存在が好きなのである。大切にしたいのである。両親に愛され、名君島津斉彬に育てられ期待された。人の情愛によって生かされ生命を保つことができた。その中で西郷は独自の思想や哲学を培った。
大宇宙・大自然の中にあっては、己の生と死さえも自分のものでないように思えてくる。一体、人間は何のために生まれ、何を目的として生きるのであろうか。世界各地で起こっている紛争や内戦など、さまざまな人間同士の諍いを見ると、人間の存在とは何かと思えてくるのである。しかしながら現代のどの思想も宗教も明確な答えを持っていない。生きる目的と生き方をめぐる議論も混迷したままである。人々はひたすら物質的に豊かになることを追い求めている。人類のほとんどが、このベクトルの中で生きていると言ってよい。
西郷は人間を「人としての道を行うもの」としている。人間は教育を受けて人の道を学び人として生きなければならない。人の道を学び実践することで人として成長できる。これこそが人間の生きる目的である。そして、人の道を行うことは、大宇宙・大自然の法則に従うことであり、人間が天地自然と一体になることでもある。これらの西郷の考え方は進化を遂げた偉大な人類の根本思想ではないだろうか。
西郷は、強くたくましく大きな人間になる方法を自身の哲学を通して、料理のレシピのように具体的に述べている。人の道を行うことの重要さや、迷いのない確固とした人生を送るための哲学と方法論が『遺訓』には記されている。
西郷自身、青年のときから、人間の高みを目指して強くたくましく大きくなろうと学び訓練をしていた。高みにある孔子や孟子といった古の聖賢を研究し、彼らの訓練方法を学び実践していたのである。これら「知行合一」の人生哲学は、強くたくましい人間になりたい、迷いのない人生をいきたい、人間として成長し事業で成功したい、生きる目的を知りたいなど、よりよい人生を求める人々に対して人間の根本原理を教えてくれるのである。
「人は道を行うもの」とする西郷の教えは、現代の思想や宗教の上位にあり、人間として存在するための絶対条件ではないだろうか。地球人類は活発化する世界経済によって繁栄を極めているようにみえる一方、内戦や紛争は果てしなく続き被災者が増大するばかりである。
人間の存在とは何か。生きる目的とは何か、国家の存在目的とは何か、など人類には超えなければならない大きな課題がある。西郷の思想や哲学には、これらを解決する術があり、世界中の多くの人々にとって生き方を考える上で必ず役立つはずである。
与人役大体一、与人役の儀は、島中にて纔わずか三人えらみ出され、万人の頭に立候えば、人民の死命を司ると申す場に相当り、至て重き職事に候。
与人一人事を誤りては、千万人を誤ると申すものなれば、一事たりとも可レ慎わざに候。
一体頭役は人心を得候が第一にて、其人心を得候は、我身を勤て私欲を絶去候事に候。
万人の頭に立候えば、下々のものは如何様無理を申付候ても、いやながら違背難二相成一畏まることに候えば、与人役と申は貴きものにて、我侭に取扱わるゝものと心得ては、忽ち万人の仇敵と相成、頭役にてはなく候。
役目と申ものは、何様の訳にて被二相立一候哉、自分勝手を致せと申す儀にては無レ之、第一天より万民御扱被レ成候儀出来させられざる故天子を立られて万民それそれの業に安んじ候よう御扱被レ成候えとの事に候えば天子御一人にて御届き不レ被レ成故諸侯を御立被レ成候て領分の人民を安堵致させ候よう御まかせ被レ成たること候え共、諸侯御一人にて国中の人民御届不レ被レ為レ成故、諸有司を御もうけ被レ成候も、専、万民の為に候えば、役人においては万民の疾苦は自分の疾苦にいたし、万民の歓楽は自分の歓楽といたし、日々天意を不レ欺、其本に報い奉る処のあるをば良役人と申すことに候。
若此天意に背き候ては即天の明罰のがるゝ処なく候えば、深く心を用ゆべきこと也。
一、百姓は力を労して本に報ゆるが職分、役人は心を労して本に報ゆるの職分にて候。
力を労するとは作職に骨折をいたし、年貢を滞らず、或は課役を勤か、力を労するにて御座候。
心を労すると申は百姓のたよりよき様に取扱いくれ候事にて、凶年の防をいたしたり、作職の時節を取失わぬように仕向け候が心を労すると申ものに候えば此本意を能々合点いたして難儀の筋をはぶきくれ候処専要の儀に御座候。
役人の取扱いがよくて、万民怨嗟する事のなく候えば、風雨旱疾の憂は無レ之ものに御座候。
万民の心が即ち天の心なれば、民心を一ようにそろえ立つれば天意に随うと申すものに御座候。
人心調和いたし候えば気候循環いたし候儀は的然なる事に御座候故頭役第一心を可レ用所に候。
たとい代官の下知にもせよ見すみす百姓いたみに相成る処は、幾度も難渋の筋を申解て、納得の出来候よう心を尽し候が頭役の持前にて御座候。
役儀は代官の賜物にては無レ之、君公よりあたえ置かれし役職なれば、代官の意に阿り、不忠の場に陥りて、君公の御不徳を醸出し候間、能々汲分けて、代官の仕事なれば我々の咎にあらずとよそに心得ては、たまたま君公より与え給いし役職を大切に思わぬ不埒ものにて、我為に禄を貪ると申すものに御座候。
勿論奉公の身の上は、犯す事ありて、かくす事なしとの聖言に候えば、代官へ対しても道理の上にて、意に逆う事ありとも、不敬の罪にては無レ之、役場の節を失わぬと申ものなれば、其弁え肝要の事に候。
間切横目役大体
一、監察と申して、諸役人は勿論、万事の目付役にて唯咎人を探し出したの、口問が上手抔と申ことは、枝葉の訳にて、全体咎人の出来ぬようにする処、横目役の本意に御座候。
深く心を尽して咎に陥らぬよう仕向け候が第一の事に候。
先づ鰥寡孤独のものをあわれみ、或は患難憂苦のものを恵み、善行ある者をほめ尊み、人々相互に不便がるように仕立候事に御座候。
尤気を付べき処は、御役人取扱の善悪、百姓の疾苦する所に御座候。
私曲をはたらきては、取扱の上よりして咎人にいたし成し候儀多く有レ之ものに候えば、深く心を用いて、罪人の因って起る所を審に察するが要務に御座候。
若役人の取扱宜しからずしては、万人を苦しめ候つみもあり、君を欺くのつみもありて、重罪にあたるのみならず、一人の盗人よりは格別おもき事に御座候。
刑は無レ拠もうけたるわざなれば、一人を罰して万人をこらさしめんとの事に御座候。
軽きつみを重く罰し、おもきつみを軽目に取扱ては法を私すると申場に相成りて、人々法度を何とも思わぬように相成るものなれば、万人おそれつゝしむ処あるが第一の事に候。