西郷党BLOG

仕末に困る人 西郷吉之助 2p029-第三章_06

仕末に困る人西郷吉之助

第三章 聖賢への道

聖賢への練習(1) 心が望むことの反対をする。人がやりたがらないことをする

ある意味この練習方法は単純であり簡単である。心が望むことの例を挙げてみよう。


①金持ちでありたい

②生活が一生安定していたい

③人からは尊敬されたい

④苦労はしたくない

⑤嫌なこと損することはしたくない

⑥長生きしたい

⑦人から嫌われたくない

⑧仲間はずれにされたくない

⑨幸せでありたい

このほかにも自分自身(心)が望むことは多い。これらのことは自分自身が損するか得するか、楽するか苦労するかだけが判断基準になっている。千人いれば千人が望むことであり何も問題はない。しかし、聖賢への訓練となればこの逆をしなければならない。

「若いときの苦労は買ってでもしろ」という言葉がある。貧乏を買い、不安定を買い、苦労を買い、困難を買い、嫌なこと損することもわざわざお金を出して買わなければならない。これらのことをお金を出して買ったのであるから、自分のものとなり愛着もわき大切にしたくなる。そうすると貧乏が貧乏でなくなり、苦労が苦労でなくなり、損得もいつのまにかなくなってくる。西郷も吉田松陰も「なるほど、こういう心の訓練をしていたのか」とうなづける。
このほかにも自分自身の瞬間瞬間の心の変化を観察し、さまざまな心の望む反対のことをしなければならない。例として「怒りを移さず」という訓練がある。どういうことかというと、たとえば職場で上司である部長が課長を叱ったとする。叱られた課長は理由が納得できなかったので、叱られた怒りを部下の係長にぶつけたとする。

課長は自分が叱られた怒りを係長に移したことになる。これが怒りを移すことであり、怒りは移してはならないのである。しかしながら人間社会では怒りを移すことはよく見られる。夫婦喧嘩をして子供に当たることなどは、叱られる理由がない子供に怒りを移したことになる。
次は西郷が若者に示した訓練方法である。

示子弟 (子弟に示す)
世俗相反処(世俗相反する処)
英雄却好親(英雄却て好親す)
逢難無肯退(難に逢うては肯て退く無れ)
見利勿全循(利を見ては全く循う勿れ)
斉過浩之己(過ちを斉しうては之を己に浩い)
同功売是人(功を同じうしては是を人に売れ)
平生偏勉力(平生偏に勉力せよ)終始可行身(終始身に行う可し)

この漢詩の題が示すように、西郷は志ある若者に言いたいのである。自己訓練をして大志を抱き強くたくましい人間になれと。それには世間一般の人が好む(心が望む)ことのあえて反対の行動をせよと。困難なことに出合ったら普通は逃げたり避けたりする。そこであえて立ち向かって行けと。

利になること、たとえば金儲けの話、あぶく銭、「濡れ手で粟」のうまい話や利権などがあったら、これに目をくらまされたり盲従したりしてはならない。また、仲間同士で仕事をした場合に、失敗したり成功しなかったりしたら、それは自分一人の責任であるとせよ。功績があったり成功したりしたら、それは自分のおかげではなく、あなたたちの努力の結果であるとし自分の功績とするな。これらのことを意識して普段から努力せよ。そして常にこれらのことを実行に移せ。そうしたら強くたくましい人間になれる。聖賢の道への入り口ぐらいには行ける。
西郷自身もこういう訓練をしていた人間であったから、一般の人はもちろん歴史家にさえ分かりにくい人物であったのであろう。

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