第四章 廃藩置県
当時の政情
一八六九年(明治二年)六月版籍奉還が行われた。領地と領民を朝廷に返した藩主は、新政府から旧領地の知藩事(地方長官)に任命され、旧領地と旧領民の支配を任されていた。つまり版籍奉還の前と変わらず藩政をとっていたのである。各藩主は知藩事になってからも、租税をかつての領民から徴収し藩の兵力も相変わらず握っていた。
この時期、新政府に対する一揆が各地で発生していた。それは版籍奉還後も徴税権を各藩が握っており、新政府は限られた直轄地からの収入で財政を運営しなければならないため、領民に重税を課さざるを得なかったためである。また一八六九年(明治二年)は天候不順が続き東北地方を中心として全国的な凶作であった。
各藩においても幕末からの重税や戊辰戦争の戦禍で農民の窮状は限界に達していた。一方、戊辰戦争の終結で行き場を失った武士階級の不満が増幅し、暴発しようとしていた。現に一八六九年(明治二年)十一月には、旧長州藩で奇兵隊二千人が山口を立早脱出し反乱を起こしていた。こうした不安定な世相の中にあって新政府には兵力と徴税権がなかった。諸藩の中には、藩政改革を行って自藩を強くし、第二の戊辰戦争に備えようという動きも出ていた。
このような中で中央集権化は新政府にとって急務であった。そのため政府では強固な中央集権体制を確立するための論議が重ねられ、廃藩置県論が高まっていった。