第五章 西郷と政治
国家の会計(税の使われ方)
西郷は体格雄偉でいかにも英雄的風貌であるため、全体に鷹揚で細かいことにとらわれず、数値感覚はないように思われている。明治中期、国立銀行を設立した渋沢栄一は西郷のことを「大度量大見識の半面、財政面では極めて細かいところに気づく人であった」と評している。西郷が青年のとき郡方書役となったのも、能筆であり算盤ができたからである。地方の農村を巡回し、米の作付けや出来高などを調査報告することが仕事であった。新政府の高官の中で米の値段まで把握しているのは西郷ひとりであり、また討幕にかかる資金を調達していたのも西郷であった。税を払う側の人の労苦を身にしみて知っている西郷は、討幕ができ新政府を維持しているのも税がもとになっているとわかつている。それゆえ、税の出納・管理・予測はあだおろそかにすることはできなかった。
大久保にしても木戸にしても、藩の官僚(役人)の延長でそのまま新政府の役人になっている。岩倉は公家であり、農民の労苦などわかりようがない。独り西郷のみ、税を支払う側の人間と間近に接し労苦が分かり、年貢の軽減を農民のために代官所に願ったり、奄美大島では年貢が払えないため役所に拘束されていた島民十数人を代官と掛け合い解放させたりした。弱きを助け強きをくじく、浪曲ではないが義侠の人である。
現代の日本では働いても低所得であるため、そこから抜け出せない人々が多い。格差社会ができつつあり、「ワーキングプア」という言葉が生まれた。以前日本は一億総中流といわれる時代もあった。ものごとすべてはやりようである。世界第二位の経済大国である。技術力も世界に冠たるものである。アメリカ流のグローバリズムを善とし格差社会まで輸入する必要はない。
日本のような民意の高い国に格差社会があるのは国の恥である。明治の文明開化でアメリカを見習い、第二次世界大戦後でまたアメリカを見習い、さらに平成のバブル景気の崩壊でアメリカのグローバリズムを見習う。「たった四ぱいで蒸気船」といわれた幕末のベリー外交がいまだに日本人の心にトラウマとなって残り、二〇〇八年(平成二十年)になってもそれから抜け出せないのであろうか。日本の国家予算の中でも特別会計は一般会計をはるか超える額であるのに使途は明らかにされない。
次は西郷の国の会計に対する考えに触れよう。
「会計出納は制度の由つて立つ所、百般の事業皆是れより生じ、経綸中の枢要なれば、慎まずばならぬ也。其大体を申さば、入るを量りて出づるを制するの外更に他の術数無し。一歳の入るを以て百般の制限を定め、会計を総理する者身を以て制を守り、定制を超過せしむ可らず。否らずして時勢に制せられ、制限をみだりにし出づるを見て入るを計りならば、民の膏血を絞るの外有る間敷也。然らば仮令事業は一旦進歩する如く見ゆ共、国力疲弊して済救す可からず」『遺訓』十四項)
(国の会計出納〈金の出し入れ)の仕事はすべての制度の基本であって、あらゆる事業はこれによって成り立ち、国を治める上で最も要になることであるから、慎重にしなければならない。そのおおよその方法を申し述べるならば、収入をはかって支出を抑えるという以外に手段はない。 一年の収入をもってすべての事業の制限を定めるものであって、会計を管理する者が一身をかけて定めを守り、定められた予算を超過させてはならない。そうでなくして時の勢いにまかせ制限を緩慢にし、支出を優先して考えそれにあわせて収入をはかるようなことをすれば、結局国民に重税を課すほか方法はなくなるであろう。もしそうなれば、たとえ事業は一時的に進むように見えても国力が衰え傾いて、ついには救い難いことになるであろう)