西郷党BLOG

仕末に困る人 西郷吉之助 2p060-第七章_01

仕末に困る人西郷吉之助

第七章 道義国家

西郷の考える道義国家とは

道義とは「人の行うべき正しい道」と『広辞苑』にある。これによれば「人の行う正しい道を行っている国」が道義国家ということになる。西郷が『遺訓』の中で語っている国家観を聞けば、西郷は明治国家を道義国家として建設するべきであると思っていたことが分かる。「人の行うべき正しい道」は西郷が青年のときから学び修業し訓練し常に追い求めて来た道である。この道がどういうものであるかを探求し、そしてそれを自身の身をもって体験してきた。
青年時代の『近思録』の研究、斉彬の薫陶、奄美大島での五年間、さまざまな経験を経て「人の行うべき正しい道」として西郷が考え至ったのが「敬天愛人」である。
西郷はその行動のすべてを、 三言一句、 一挙手一投足を「人の行うべき正しい道」とは何かを追求することにあてた。その結果の「敬天愛人」の哲学であり思想である。新しく誕生した明治国家を道義国家にするべきであると西郷は思った。
政治は誰のために、何の目的をもってなすのか。このことを考えるとき徳川幕府の治世と新国家の治世が同じであってよいはずはない。ただ単に政府が代わり統治者が代わっただけでは、民や国民は元のままであり、その生活は決してよくならない。西郷は重税に苦しむ農民の生活や、封建制度の農民に対する非情さ非道さを目の当たりにしていたので、農民(国民)を救済するためには治世の制度を根本的に変える以外ないと考えていた。

西郷がこのような考え方をしていたことは『遺訓』をよく読めばそこに表れている。
西郷は国家のありかた、役目をここまで考えていた。大久保、岩倉、木戸、大隈、山欧  県、伊藤といった幕末明治の政治家と根本的に違うところである。西郷は欧米列強の脅威を恐れない。それは我彼の情勢をしっかり分析していたからであろうが、何よりも国民のための政治を行い、国民の活力と政府に対する国民の信頼一体化を増すことこそが最大の国力であると考えていたからである。国家形成の目的は何であろうか。こう問われたら、西郷であれば即座に、それは国民に仁愛を施し、人の道を行わせることであると答えるであろう。西郷において国家とは道義国家であるべきであり、あるいは道義国家を目指す過程の国家でなければならないのである。

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