日本中の人から非難されても良とする
次は西郷の言葉である。
「道を行う者は、天下挙って毀るも足らざるとせず、天下挙って誉むるも足れりとせざるは、自ら信ずるの厚きが故也。其の工夫は、韓文公が伯夷いの頌を熟読して会得せよ」(遺訓三十一項)
(正しい道義をふんで生きてゆく者は、国中の人が寄ってたかってそしるようなことがあっても決して不満を言わず、また、国中の人がこぞってほめても決して自分に満足しないのは自分を深く信じているからである。
そのような人物になる方法は韓文公〈韓退之、唐の文章家〉の伯夷いの頌〈伯夷、叔斉兄弟の節を守って餓死した文の一章〉をよく読んでしっかり身につけるべきである)
西郷自身この境地であった。仮に私があることで日本中の人から非難攻撃の的となり、誹謗・中傷、非難轟々の嵐が吹き荒れたとしよう。私は反省すべきは反省し、正すべきは正し、そして後、人の道においてはずべきことがなければ断乎として自ら信じる道を行うのである。非難した人や世間に対して一切不平不満を漏らすことはない。
『手抄言志録』(七十一項)の一節にこの心境が語られている。「自ら反みて縮きは、我無きなり。千萬人と雖いえど吾れ往かんは、物無なり」(自分の良心に顧みて、真直で少しも恥ずることがない時は、無我の境にある時である。千万人の中へでも飛び込んで
往こうとする勇気のある時は、富貴も威武も眼中にないわけで、まさに念頭無物の状態にあるといえる)。
世間の非難攻撃にびくともせず、かえってその程度の非難では物足りないと思うのである。西郷はこのぐらいの人間としての強さを修業して会得せよと主張したいのである。西郷という男が、いかに人間の強さと大きさを求め修業をしていたかが分る。しかしながら、多くの人は世間体を気にし、常識に縛られ、幸不幸の波にゆられ目前の安楽困難に一喜一憂する。そして、自身をよく見せよう、よく見られようと他人の評価に苦心するのみで、あえて自らを強く大きくしようとは思わない。そのため、他人からの非難攻撃には非常に弱くなってしまう。そもそも人間は強くしようと思えば、どこまでも強く大きくすることができる存在である。
西郷であれば「人間を学び、人生を知り、人の道を行い、己を強く大きくせよ」そして「日本中の人から非難攻撃されてもよしとする、人としての強さ大きさを修業して身につけよ」と叱咤激励するであろう。
西郷は罪人となり島流しに遭い、牢屋者となった。しかし、常に「世上の毀誉、軽きこと塵に似たり」の態度である。世間から誉められたりけなされたりすることに何の重みもない。それは他人が己の思惑で勝手につけたものだからである。その何の責任もない軽さは塵のようなものである。そんな塵のようなことに一喜一憂などしてはならない。たとえ日本中の人々から誉められたりけなされたりしても、それに一喜一憂しないほどの大丈夫たれ。