西郷党BLOG

道義国家を目指した 西郷吉之助 3p033-第三章_07

道義国家を目指した西郷吉之助

第三章  道義国家

7 国民意識の変革

世界でも一番道義国家になにやすい国は日本であろう。明治維新は武士による改革であった。政権担当者の多くも武士階級の出身で構成されていた。それは政治家や官僚ばかりでなく官営・民営の企業や教育現場の教師にも及んでいた。明治国家は武士の道徳教育を受けた武士による国家であったとも言える。礼節や信義を重じ、自己犠牲の精神をよしとした。その風潮は少なからず大正・昭和の時代まであった。
日本は敗戦によってアメリカの民主主義教育を受け、個人主義が重視されるようになり、経済が発展するにつれて利己主義も付加されるようになって今日まで至っている。日本人の根底にはいまだに礼節や信義を重んじる精神は残っている。己を律することや節度ある行為が自然と国民に根付いているのである。そうであっても、現実には日本でも、利便性を追求する物質文明の日進月歩の発展によって利己主義が次第に国民の意識に拡大しているのも事実である。

人間は動く想念体とも言える。国民の意識が変わらなければ道義という概念は受け入れられないであろう。外圧による意識の変革ではあるが、明治維新の時、そして敗戦後のアメリカ式民主主義は日本国民に変革をもたらしたのである。世界のどの国を見ても、いろいろな面で日本がもっとも道義国家の形態を整えている国である。その日本が国民一人ひとりに道義という概念を根付かせて真の道義国家となり、これを世界各国に普及し貢献することこそが二十一世紀の日本国の使命であると信じる。敗戦後の日本の復興ほどすばらしく、目をみはり世界に誇れるものはない。戦前私の父は台湾の高雄で税関の官吏であった。そこで招集され高射砲部隊に所属していた。子供のころ父が兵隊時代の話をよく話してくれた。

父の転勤で一九六〇(昭和三十五)年頃は長崎県の佐世保にいた。通学は米軍の広々とした芝生の庭のある白い外人住宅街を通って行っていた。どこにも戦争などなかったのごとく平穏な日常であり、二〇一四(平成二十六)年の今日のようでもあった。父の兵隊時代の話も昔話のようであり、平和な税関職員の普通の家庭であった。

昭和三十年代は日本の高度成長時代であり、東京オリンピックが開催され敗戦など国民の意識にはなくなっていた。そしてアメリカに次ぐ世界第二位の経済大国となり今日の繁栄を築いている。日本は明治維新と敗戦という大きな意識変革を、昨日が今日に変わるように自然体で成し遂げている。それは日本の国民意識が高く、融通無碍であり、和を好み勤勉で未来志向の国民性によるのであろう。
今、地球を回る人工衛星の視点で地球上の人類を見てみよう。商業経済を及ぼさなくともよいはずの未開の地域まで資本主義貨幣経済が行われようとしている。貨幣を使用して消費が行われ、次から次へと新しい商品が投入され、さらに貨幣を使って消費する循環に組み込まれていく様が見えるのである。それは同時にエゴを人の心に植えつける作業とも言えるのである。この地球規模の経済の普及の中で、日本国民が意識を変革することで日本をいちはやく道義国家に変え、世界人類に貢献すべきであると切に思う。

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