西郷党BLOG

道義国家を目指した 西郷吉之助 3p034-第三章_08

道義国家を目指した西郷吉之助

第三章  道義国家

8 国民教育と自主独立

人は教育を受けてはじめて人となり得る。人間の子として生まれたら国や人種に関係なく普遍の原理である。人になるための教育を親や社会や国家は平等に施さなければならない。それは親や社会や国家の使命であり責任である。十五歳(中学生)までは国語、数学、日本史・世界史、外国語、技術、美術などの教養部門を中心に、人としての生き方を教える道徳を加えた基礎教育を行うべきである。
この時期には親や社会や国家は、特定の宗教や思想といった基礎教育以外のものは教えるべきではない。

五百万年~七百万年と進化し続けた偉大な人間の脳に、固定された特定のものを入れるのはあまりにもったいなく、人間の偉大な可能性を阻害してしまう。そして何よりもこの年齢までは物事の良し悪しや取捨選択などを判断するには未熟であり、特定の宗教や思想を教育することは人間をロボット化しかねない。

現在でも世界には特定の宗教国や思想主義国家が存在しているが、偉大な人間であるという面で考えると誤った教育と言える。宗教や思想は人間が基礎教育を修了した後に個人の選択の自由にまかせて、教養のため趣味のためなどにした方がよい。十五歳以下の子供に対して、親や社会や国家が意図的に宗教や思想を決して教育してはならない。人間の子供は天真爛漫、自由闊達でどれほど成長するか分からない偉大な可能性を秘めている。その可能性を伸ばすことこそ人類の義務であり、親や社会や国家が果たすべき責任であろう。

親と子は別の生命体である。親は長い間、子供を養育し成人させる。成人した子供は自主独立の精神をもって生きていくのである。子供は人類の宝である。五百万年~七百万年の進化の歴史をDNAに刻んで人間の子は誕生する。気の遠くなるような進化という財産を抱いて生まれ出る。無限の可能性を持つその脳は宇宙の全知識を入れることが出来るほど広大である。
仮に人間が絶滅危惧種であったらその大切さが分かるというものだ。また物語などには人間は創造主に似せてつくられたとか、創造主の分身であるとかされている。創造する力を持つ人間は様々なものを生み出し、文明を発展させ続けている。それはあながち創造主の分身と言えなくもないのである。しかし一方では人類文明を滅ぼしかねないエゴという危険なものを持ってもいることも事実である。
人間は教育を受けてはじめて能力を発揮することができる。人として生きるための道義的教育をしなくてはならない。そうすることで自分自身のエゴをコントロールする力を持ち、真に人として生きることができると言える。国家の役割は一人ひとりの国民が自主独立の精神を持ち、己のエゴを道義的精神によって善に導き、よりよい人生を送れるようにすることである。それが、国民が国家に付託した国家の果たすべき仕事と言える。

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