第三章 道義国家
6 民主主義国家から道義国家へ
主権在民の民主主義国家が現在ではもっとも良い統治形態とみなされている。日本は敗戦によりアメリカの民主主義を受け入れて来た。ここで、民主主義とは何かについてブリタニカ国際百科辞典から引用してみる。
「人民が権力を握り、自らそれを行使する政治を意味した。したがってそれは君主政治や貴族政治と並び支配形態の一つである『多数者の支配』をさす。民主主義は、古代においては愚民政治ないし暴民支配を意味するものとして、しばしば嫌悪され、望ましい政治形態として受け入れられるようになったのは近代においてである。
しかし民主主義の復権にはさまざまな曲折があった。まず近代民主主義は古代のような直接民主制ではなく、間接民主制で、少数の支配階級によって運営される議会政治にほかならなかった。これに対してルソーのような代表制を否定する思想家が出現し、その後これをめぐって論争が展開された。民主主義が真に確固とした市民権を握るのは第一次世界大戦後のことである。この大戦において連合国は『民主主義の安全な世界をつくる』ことを戦争目的として掲げ、戦後はこの宣言に応じて民主主義の大波が世界をおおうようになった」
近代民主主義の歴史は浅く、民主主義そのものが進化の途上にあると言わねばならない。万物の生成発展は宇宙・大自然の法則であり、また人類社会の思想も主義も社会体制も例外ではない。変化や変革こそ宇宙・大自然の中にあっては常の状態であり、それが自然なのである。
民主主義が「多数者の支配」による政治形態であるなら、多数者の民意の程度に応じたものがその国の民主主義となる。
二〇一〇(平成二十二)年「アラブの春」といわれた民主化の波によってエジプトやリビアなどアラブ諸国の旧体制が打倒されたが、それはかえって混迷や内乱をまねく状況となり今日まで続いている。アメリカが何年も前に「民主主義の正義や大義」と称して侵攻したアフガニスタンやイラクでは何年も戦闘状態が続いており、これらの戦争による人的被害は独裁体制や専制体制の時よりはるかに大きいのである。
民主主義は国民の意識が高くなければ、前述の辞典の説明にあったように愚民政治ないし暴民支配になりやすい。国民に一定以上の教育が行われ、民度を高くしたうえでなければ、民主主義は国民一人ひとりの主義主張や権利意識だけを高め、かえって混乱や抗争を招くことになる。そして何よりも民主主義国家の最大の欠陥は、生きる目的や他人とのかかわり方や人の行うべき正しい道などといった道徳観を教えないことにある。道徳観も含めすべてを個人任せにして、その個人は当然のごとく利己主義に走ってしまうのである。民主主義国家のシンボル的なアメリカを見て思うことである。