西郷党BLOG

個を強くせよ 西郷吉之助 p031 第三章-10

一箇の大丈夫西郷吉之助

何ものも恐れない強さとは

西郷の最大の特徴は何ものも恐れない強さを持っていることである。人はみな、裸で生まれ、裸で死んでいく。あの世には何も持って行くことはできない。しかしながら、人間という動物はよほど欲深く心配性なのか、あの世でも名世を得たいと願い、自身が灰になったあとの孫子の心配までする。生きている間これらのことを果たすのも大事な仕事であると考えている。

無一物の裸で生まれ出たにもかかわらず、人は成長し大人になるに従い死という恐怖を抱き、信頼されたい、尊敬されたいなど他人からよく見られ思われようとする心を持つ。また、家や車やさまざまな物を所有しようとする物欲が湧き、実際に財産や地位や名誉といったものを身につけて生きている。これらのものが失われ傷つけられることを恐れ一喜一憂する。「世間の人はややもすると、芳(名誉)を千載に残すとか、臭(悪いこと)を万世に流すとかいって、それを出処進退の標準にするが、そんなけちな了見で何ができる
ものか。男児世に処する、ただ誠意正心をもって現在に応ずるだけのことさ。あてにもならない後世の歴史が、狂といおうが、賊といおうが、そんなことはかまうものか。要するに処世の秘訣は『誠』の一字だ」

これは『氷川清話』にある勝海舟の言葉である。世間や後世の評価など気にするべきでない。評価を気にすることは、良い評価を得ようとし悪い評価を避けようとする行為になる。そこには「私のために為す」という欲が少なからず入ってくる。そうすると「悪い評価は得たくない」という思いが恐れとなり、一つの弱さとなる。西郷なら、「世間や他人の目に左右されない強い自分をつくれ」と説くであろう。世間や大衆や人気といったものは実にわがままで身勝手なものである。

良いときは良いが、悪くなるとすぐ手のひらを返す。世間とはそういうものである。これらのことをよく知り、たとえ日本中の人から非難されようと悪くいわれようと、自ら信じる
正しい道を行えるだけの強さと大きさを持つことである。西郷の言う「大丈夫」や「道を行う者」とはこの強さと大きさを持つ修業をした人である。何ものも恐れない強さとは一体どういうものであろうか。どのようにしてそれを持てたのであろうか。これに関連してはっきり言えることは、西郷は人が嫌がり避けることに対し、正面から向き合い挑戦し探求し、乗り越えようとしていたことである。
『手抄言志録』や『遺訓』によく表れている。

人が一番嫌がることは死ぬことである。人間にとって死とは何を意味するのか。ほかの動物と変わらない単なる死か。それとも人間の「死」はほかの動物とは違うのか。人間における「死」とは何か、その善しあしや活用方法までも西郷は見極めようとしている。剣の達人が間合いをはかり見切るように、「死」の存在を常に意識し、生とのぎりぎりの間合いに置いていた。まるで犬や猫を飼いならして身近に置くように、「死」を飼いならしていつも手元に置いているかのように思える。連綿と続く人の生と死、その中にあって、一人ひとりの個の生と死を超えて永遠に時代を貫き存在するものがあるはずである。西郷はそれが何であるか、身をもって探究し見極めようとした。そして自得したのが、万世にわたり宇宙にわたり変えることができない「人の道」が存在することである。それを西郷は道義、正道と呼ぶ。

人間の七十年、八十年の寿命は死によって消滅するが、「人の道」は何千年何万年と人間がこの自然界に存在するかぎり受け継がれていく。自由意志を持つ人間が天地自然と一体になるには、「人の道」を行うことが必要であると西郷は考える。『遺訓』三十七項で、時代を超えて受け継がれる「人の道」の例として鎌倉時代(一一九三年)の曽我兄弟の仇討ちを挙げている。

「天下後世までも信仰悦服せらるるものは、只是一箇の真誠也。古へより父の仇を討ちし人、其の麗挙て数へ難き中に、独り曽我の兄弟のみ、今に至りて児童婦女子迄も知らざる者の有らざるは、衆に秀でて誠の篤き故也。誠ならずして世に誉めらるるは、僥倖の誉也。誠篤ければ、縦令当時知る人無く共、後世必ず知己有るもの也」(この世の中でいついつまでも信じ仰がれ、喜んで服従できるのはただひとつ人間の真心だけである。昔から父の敵を討った人は数えきれないほどたくさんあるが、その中でひとり曽我兄弟だけが、今の世に至るまで女子子供でも知らない人のないくらい有名なのは、多くの人にぬきんでて真心が深いからである。真心がなくて世の中の人からほめられるのは偶然の幸運に過ぎない。真心が深いと、たとえその当時、知る人がなくても後の世に必ず心の友ができるものである)

『言志録』に「死を畏るるの中より死を畏れざるの理を捒出すべし」とある。西郷三十二歳のとき、十二月の鹿児島湾で月照と肩を組み合って入水自殺する。沖永良部島に流罪されたとき吹きさらし野ざらしの囲い牢の中で死と直面する。そして幕末動乱の中、死生の間を出入りして戦う。これらのことを体験する中で自得したものがある。それは、死に対してはことさら忌み嫌い遠ざけることもせず、さりとていたずらに呼び寄せたりもしない。死生を思慮の外において、ひたすら目前の「人の道」において「為すべきことを成す」。このことに専念して死生に頓着しない。

これが西郷の自得した「死を畏れざるの理」である。「死生を視ること真に昼夜の如し」の心境に至ることを日々心がけていた。朝目が覚めて活動し一日を終える。これが昼であり人間の一生である。そして眠りに入る。これが夜であり死である。昼と夜で一日(一生)を終える。これらのことが何千回何万回と繰り返され続けていく人間世界である。まさに「死生を視ること真に昼夜の如し、念を著くる所無し」である。誰も夜がくることを死がくるとは考えない。一日の労働を終え明日の英気を養おうとぐっすり眠ることを願うばかりである。この心境で死に向かい合えることを西郷は目指したのである。

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