2023年エール7月号 早川幹夫×池田裕一氏対談
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全文掲載
早川幹夫 × YS東京中央会計事務所 所長・税理士 池田裕一
日本道義主義の会 夏の対談
子どもの頃から思いやりの心を教えることが道義につながる
今回は税理士の池田裕一さんがゲスト。沖縄在住で月の半分は東京で活躍する早川会長と東京と沖縄に事務所を持つ池田さん。沖縄とのつながりが深いお二人が道義と良心について語り合いました
早川幹夫
日本道義主義の会会長。1948年鹿児島県奄美大島生まれ。拓殖大学卒。琉球大学文部事務官に就職。その後沖縄・東京で人材派遣会社を起業し、現在に至る。西郷隆盛の生き方に感銘を受け、混迷する現在の世界の政治と経済に道義主義を唱える。著書に「一箇の大丈夫 西郷吉之助」「道義国家を目指した西郷吉之助」「仕末に困る人 西郷吉之助」などがある。
池田裕一
税理士法人YS東京中央会計 4代目所長税理士。
1972年千葉県生まれ。早稲田大学理工学部卒。
製造メーカーにてエンジニアとして勤務後、数か所の会計事務所を経て現在に至る。ものづくりの技術的視点と税務会計における財務的視点から法人や個人の経営のお役に立つことで社会に貢献すべく税理士となる。
道義国家を作って世界の模範国となる

沖縄で暮らし、仕事をしていた私が7年前、鹿児島で日本道義主義の会を立ち上げ、翌年には東京の日本橋で道義主義の会を作って、その後新橋で活動するようになりました。
日本道義主義の会を毎月一回開催して、この6月17日で第66回になりました。池田所長にも何回か来ていただいてますね。

すごい会があるよと紹介されて参加させていただきました。最初に出席した時は、お偉方が集まって、道義について話し合っていました。今までそういう経験がなかなかなかったので勉強になりました。みんな日本の将来のことを考えているんだなと。わたし自身も日本が変わっているのをすごく感じていて、次の世代に残していくにはどうするべきかと思っていました。
早川会長が沖縄の方なのでとても親しみがわきました。東京と沖縄に事務所があり、仕事としては3分の2が東京、3分の1が沖縄です。 なぜ、沖縄に? ということについては私自身というより、事務所のルーツのお話をしたいと思います。
最初の所長である仲田清佑先生が、50年以上前に東京国税局を辞められて個人の税理士事務所を開業していました。平成22年に法人化して、日本橋の人形町に事務所を作りました、仲田先生は沖縄の伊是名村の出身ですが、同じ村出身の方に仲田睦男さんという戦後沖縄の経済に寄与した
方がいました。
オキコ株式会社という有名なパンの製造会社、沖縄明治乳業、琉球肥料他のグループ会社を作っていました。それを睦男の睦をとってむつみ会と名づけていました。そのむつみ会の会社の税理を仲田先生がみていたという経緯があります。
仲田先生は昨年99歳でお亡くなりになられましたが、東京では沖縄県人会の最高顧問で、数々の要職を務められたようで、その伝統を私が引き継いで今頑張っています。
沖縄と東京は文化の違いがありますし、時間の流れは全然違うと思います。いいところでいえば、人とのつながり。東京の方がどちらかというとドライです。私は丁度沖縄が復帰した年の昭和47年生まれで、、沖縄に行くと「復帰っ子」といわれます。

そのころわたしは東京で大学生でした。当時は沖縄に行くのにパスポートが必要でしたね。私が沖縄に住むようになったのは、復帰後の昭和51年。琉球大学に採用されてからです。

いい意味でも悪い意味でも沖縄はこれからも注目されるでしょうね。開発も進んでいくので経理の面で、お役に立てればなと思っています。
最近はAIやテクノロジーがすごいので、沖縄の顧客も働き方が変わっていますし、どんどん豊かになっていきます。現在沖縄事務所では50社ぐらい受け持ってます。
しかし、テクノロジーといいながら、最終的には人。人と人のつながりだと思います。人としてどうあるべきかが一番重要だと信じています。
大谷選手がアメリカで頑張っていますが、アメリカだと個人プレーが当然でしたが、大谷選手が入ったことでチームプレーの大事さが伝わりました。そこは日本人の素晴らしい伝統だと思います。道義から生まれる一つの魂かなと。

「道義」とは西郷隆盛が言ったわけではなく、古来から固有名詞としてあるものです。私が道義主義と言うようになったのは「道義」という言葉にエンジンをつけたかった。
主義をつけるとエンジンみたいに動く。菜食主義や共産主義のように。そして、人間の基本的な考え方の要素につけ加えました。そういう意味では日本人が心の中に持っている道義主義という概念を、今の戦国時代的要素を呈している世界に広めたい。
自由主義と民主主義で人類は発展したけど、最後は人の道です。今はこれやってはいけない、これやったらおしまいという道義主義の心が欠落している。
大谷選手が野球場でゴミを拾ったとか話題になりますよね。日本の場合は刃のほうを人に向けて渡してはいけないと小さい頃から言われる。
それは二宮尊徳の話にあります。「道徳は単純。刃物を渡す時は柄の方を向けて渡す。それが道徳の基本だ」と。
そこには相手を慮る気持ちがあります。しかし欧米では考えられない。
欧米では柄を向けて渡すと、相手が柄を掴んで、こちらに刺してくるかも知れない。プーチン大統領もベラルーシに核を配備するとか。ちょっとしたミスで第三次世界大戦が起こるとも限らないんです。
日本でも道義は表層的かもしれません。道義という考えを生活に落とし込むことはなかなか難しいです。

私の世代は、第二次ベビーブームで人が多くて競争も多かったですが、自分がよければというよりは全体で押し上げていく。みんなで頑張ろうという意識は強かったかもしれないです。
部活もそうですが、集団で物事を成し遂げるというのがありました。
今は個人個人ですね。良し悪しだとは思いますが。今は便利になって情報もたくさん入ってきますが、それにどう向きあうか。
自分だけではなくて、次の世代や子どもにつないで、気持ちの面でも豊かになれるようにしていければいいですね。安心して子どもを育てられるような環境づくりはしないといけない。スタッフの子育てを会社でも支援しています。

黒船も、インデペンデンス・デイもそうですが、現実が突きつけられると、なるほどなと思う。そういう面で日本が道義国家になって、模範国になると世界がそれに見倣うと信じています。誰かがやらないといつのまにか大きな戦争になります。
その歯止めに日本が道義国家になるのが世界平和の近道です。人類という動物は愚かです。人類の愚かさを甘く見てはいけないとイスラエルの歴史学者が言っていました。

人と人。社会は人が考えて作っていくので、人としてどうあるべきか。今は色んな情報が入ってきて、発信もできるので、日本というものをどんどん発信していかないと。
それにはやはり道義が基本だと思うんです。それを根付かせることが大切です。今はチャットGPTとかAIがどんどん発達していますね。
AIも記憶する力はすごいと思いますが、考える力はまだ人間の方が上だと思うので、人と人との発想力で人間が頑張っていかないと。あまりAIに頼りすぎると人間も退化する危険はあると思います。人と人とのつながりが道義だと思います。
顧客の中で、この人は素晴らしいという経営者に出会うことがあります。人望もあるし、変な冒険や投資はせず、身の丈にあったところでしっかりやっている。かなりの利益が出
て、給料たくさんもらえばいいのに会社に残す。「自分が死んだ時に、お金も家族にあまりいかないようにしてくれ」と頼まれます。遺産は寄附すると。そういう人に会うと、すごいな。そ
うあるべきだな。私もそういう人に経営者としてどうしたらいいか聞いたりします。
道義とは良心の実践である

この前の会合で道義主義って一体何なのと聞いた方がいた。
そこで私も果たして道義とはなんだろうと考えました。漠然とは分かっていても、スパっと出
る言葉はない。そこで「道義とは良心の実践だ」と気づきました。良心は、広辞苑で引いたら、「何が善であり、悪であるかを知らせ、善を命じ、悪を退ける個人の道徳意識」とあります。たとえばゴミを捨てた後にそこに捨ててよかったかと思うこともある。そこに捨てると自分に負けたようで、拾って正しいところに入れることがある。芥川龍之介の蜘蛛の糸じゃないですが、ぎりぎりのところで自分の良心が働く。道義とはそれの実践なんです。
西郷隆盛が私学校を鹿児島に作ったとき、綱領に自ら筆を取って書いたのが、「道を同じうし、義相叶うを以って、暗に集合せり」。
道を同じくして義という行動が必要だと。道義においては必ず行動しないといけない。そういうのができるように自分を磨き上げないと良心という言葉だけになってしまう。実践することによって良心は強く、大きくなるわけです。誰も見てないけどゴミを捨ててはいけない。そこに
良心の葛藤がある。そこに善を命じ、悪を退け、個人の道徳意識が働くわけです。
人間はエゴの塊です。人類の最初の殺人はカインとアベルの兄弟喧嘩。
父親が弟ばかり可愛がるという嫉妬心からでした。だから人と見比べるのではなくて、私という、世界人口80億分の一の人間がどれだけ死ぬまでに自分を成長させられるか。それの勝負で人との勝負じゃない

わたしが尊敬するのは、さっき言った社長さんのような自己の利益ではなくて全体を考える人です。

10年間くらいは西郷隆盛をダメな男だと思っていました。なぜかというと、自分の理念や理想を通したいなら、大久保とか木戸孝允みたいな敵対する人を叩き潰して、自分の夢を実現すればいいのに、すぐ鹿児島に帰った。執着心が薄い。本当に自分の夢を叶えたかったのかと疑問に思っていました。しかし西郷隆盛が言いたいのは、西郷隆盛という男には誰でもなれる。自分を祀り上げたり尊敬するなということです。
ようはWBCの時に大谷が円陣を組んで言っていた。「今日一日は憧れをやめましょうと。憧れたらアメリカに勝てない」その心が大切。あれがなかったら、WBCで負けていたと思います。
尊敬や憧れはいいけど自分を持たないといけない。吉田松陰の言葉に「聖賢に阿おもねないこと肝心なり」とあます。ようは老子や孟子の論語を読んで、すごいなと思って阿おもねたらダメだということです。

80歳の母親がよく「人に施せ」と言っていました。人に施して施されてる。その中で、どうやって豊かになれるだろうと。それを考えれば、ビジネスになり、また豊かになって施してと。その連鎖が噛み合えば、表面的なものかもしれないけど豊かになると思います。

信長は人間50年と区切りました。天上界でいう下天は人間社会の一日。長いようで短い人生、何を考え、何を求めて生きているのかです。人の命は地球よりも重いといわれましたが、今はゴミより軽いです。国連の常任理事国は、戦争や紛争を防ぐ権利があった。その常任理事国が戦争しているわけですから国連は機能してないです。ここで人類社会の舵を切らないと、雪崩呑む危険があります。
今の日本は、一般庶民は政治家に国の舵取りを預けます。たとえばバスの運転手が政治家で乗客は身を委ねるわけですから、政治を為す者は良い方向に行かないと、我々はなす術ないわけです。

自分の利益を追求するようになって、人を想う気持ちが薄くなりつつあると思います。みんなで協力して日本という国を発信していかなければならない。世界もどんどん発展していくので、道義がないと技術力だけが上がって戦争になりかねないです。
これからは人と人をどう結びつけていけるかですね。人をどう思いやれるか。育成していく、伝えていくのが重要です。そうすれば世界中の人が相手のことを考えて行動できるようになると思います。

日本がモデル国になるのが世界人類が平和になる早道です。モデルがないと良いことがわからない。
銀座の闇バイトの強盗みたいに、人のことはどうでもいいと。でもその100分のⅠでもブレーキが必要です。それが良心だと思います。これはやりすぎだ。自分を抑えるとか我慢するとか。それを意識しないと、カーっとなってやってしまう。刃物を渡す時は柄の方を向けて渡しなさ
いと言われると、なんでかなと考える。そういう意識があるとそういう場面で抑えきれる。教え
ないと人間はわからないので、直結してやってしまう。犬や猫や牛は本能で生きる。でも人間という動物は自由意志を持つ。そして物を創造する力を持つ。だから人間という動物には人の道が必要です。

特にコロナで人と人の関係が希薄になってきましたね。小さい頃から人と人のつながりを持たないと、何かあった時に外れてしまう。その限界がわからなくなってしまう可能性があります。

何も教えないと、ブレーキも何もない。アクセルばかりで走り回ってしまいます。

私自身のことでいえば、これから皆さんに貢献できる仕事をしたいと思います。最終的には人間力、人と人のつながりだと思います。それを目指して頑張っていきます。理念としては、確実な税務。そして予防的な税務を考えています。やはり一人の経済人として、相手を考える、敬うのスタンスで発展していきたいと思っています。