西郷党BLOG

西郷隆盛流の「人間が強くたくましく大きくなる方法とは」

西郷隆盛流の「人間が強くたくましく大きくなる方法とは」

  1. 簡単です。歴史上の強い人物、たくましい人物、大きな人物の真似をすることです。歴史上の人物でなくとも現在生きている人や過去の人でも良い。
  2. 自分と似たような境遇やタイプの人物をチョイスして真似たら真似しやすい。
  3. 真似ようとする人物の考え方、生き方、訓練の仕方。決断力、判断力、実行力などを調べて、己れ自身に当てはめて出来るかできないか実験してみる。
  4. 様々な人物の良いところを真似る。良いところ取りをして己の力量を高める。
  5. 欲を離れた見事な人間になってほしい。

三六

聖賢に成らんと欲する志無く、古人の事跡を見、迚も企て及ばぬと云ふ様なる心ならば、戦に臨みて逃ぐるより猶卑怯なり。

朱子も白刃を見て逃ぐる者はどうもならぬと云はれたり。

誠意を以て聖賢の書を読み、其の処分せられたる心を身に体し心に験する修業致さず、唯个様の言个様の事と云ふのみを知りたりとも、何の詮無きもの也。

予今日人の論を聞くに、何程尤もに論ずるとも、処分に心行き渡らず、唯口舌の上のみならば、少しも感ずる心之れ無し。

真に其の処分有る人を見れば、実に感じ入る也。

聖賢の書を空しく読むのみならば、譬へば人の剣術を傍観するも同じにて、少しも自分に得心出来ず。

自分に得心出来ずば、万一立ち合へと申されし時逃ぐるより外有る間敷也。


聖人賢士(知徳のすぐれた人、賢明な人)になろうとする志がなく、昔の行われた史実をみて、自分などとうてい企て及ぶことはできないというような心であったら、戦いに臨んで逃げるよりなお卑怯なことだ。

朱子(昔の中国南宋の学者)は刀のぬき身を見て逃げる者はどうしようもないと言われた。真心をもって聖人賢士の書を読み、その一生をかけて行い通された精神を、心身に体験するような修行をしないで、ただこのような言葉を言われ、このような事業をされたということを知るばかりでは何の役にも立たぬ。

自分は今、人の言うことを聞くに、何程もっともらしく議論しようとも、その行いに精神が行き渡らず、ただ口先だけのことであったら少しも感心しない。

ほんとうにその行いのできた人を見れば、実にりっぱだと感じ入るのである。

聖人賢士の書をただうわべだけ読むのであったら、ちょうど他人の剣術をそばから見るのと同じで、少しも自分に納得の行くはずがない。

自分に納得ができなければ、万一試合をしようと言われたとき、逃げるよりほかないであろう。

示  子  弟

世 俗 相 反 処
英 雄 却 好 親
逢 難 無 肯 退
見 利 勿 全 循
斉 過 枯 之 己
同 功 売 是 人
平 生 偏 勉 力
終 始 可 行 身

子弟に示す

世俗相反く処、
英雄却て好親す。
難に逢うては肯て退く無く、
利を見ては全く循う勿れ。
過を斉しうしては之を己に枯い、
功を同じうしては是を人に売れ。
平生偏に勉力し、

終始身に行う可し

解釈

英雄というものは、世上一般の俗人どもがいやがり嫌って背中を向けるような事を、かえってすき好み、これに親しみ近ずいて行くものである。難儀な事に出逢っては、あえて退いて敬遠するような事をしてはならぬし、利益を見ては、善悪の見さかいも無くこれについて行ってはならぬ。

人と一緒に過を仕出かした場合には、それを自分に買って出て一人で全責任を負うようにし、人と一緒に功を立てた場合には、これを人に譲って、自分はその分け前にあずからないようにせねばならぬ。

ところが以上述べたような事は、俗人を超越した英雄のする事で、なかなか容易に出来る事ではないから、かねて一途に勉めて始終(常住不断)身に実行してゆかねばならぬ。

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