己の哲学思想をもつ
人は皆一人ひとりが神であり仏であってしかるべきである。皆、その可能性を持って生まれてくる。またそのように創造されてもいる。人間の赤ん坊は神の原形として生れてくるという。人は成長するに従い死の恐怖を知り、我欲に支配され、習慣の奴隷となっていく。多くの人は少年期や青年期、見るもの触れるものなど自らの経験を主として「自分というもの」をかたちづくっていく。それは成人した後も変わらず、社会の仕組みや組織の中に身を置いて、さまざまな出来事と出合い、いろいろな人と接し影響を受ける。
成功や失敗の経験を重ねて自らに合ったものを選び出し自己を形成していくのである。そこでは「経験というもの」が大きなウエートを占め、考え方や行動を規定し「その人」を形成していく。こうした人たちは自己の損得を第一に考え基準にして行動へ移す。一つの事象に対しても人それぞれの損得に基づく経験によって、一人ひとり千差万別の価値基準を持つことになる。「人が行うべき正しい道」を考えや行動の価値基準に置いているのではない。まるでジグソーパズルのように「経験」という断片を次々に重ね、人生観、
生き方や行動規範を組み立て、自分を形づくっていく。
『遺訓』や『手抄言志録』を見ると、西郷はこの手法を取っていないことが分かる。人間とは、人生とは、人間の生とは死とは、人間と天地自然・宇宙とのかかわりとは、人間の存在意義とは、そして、人間の生きる目的は何か。西郷は少年期を別として、青年期になると、これらのことを真剣に考え己の生き方を探究していた。この時期、西郷が提唱して大久保や伊知地正治や有村後斎らと『近思録』の共同研究を行っている。人はどう生きるべきなのか、またどう生きたらよいのか。その正しい生き方は何か。そして、正しい生き方のモデルはないのか。西郷はこれらのことを何よりも第一に考え、己の生涯を貫く生き方を決定することこそ最優先すべきであると考えた。経験の結果によって自身を作成していこうというものではない。書物を読むにしても、さまざまな経験をするにしても、生き方を見いださんがためである。
西郷の見いだした生き方とは、聖賢への道を志し、聖人をモデルとし、生涯「道を行う者」であり続けることだ。時代が幕末動乱であろうと西郷の志は変わらず、乱世であれば乱世の、大平であれば大平の世の、「道を行う者」でなければならない。得た経験で自己を形づくろうというのではない。人間の本質とは何か。人類の歴史が連綿と続く中「万世にわたり、宇宙にわたり、変えることのできない」不変の人の道があるはずである。それを探求しその「道を行う」ことを人生の基本に置くという考えである。
経験も大切であるが、そこから学ぶことは、ややもすると損しないように、失敗しないように自己を利するようにとなりがちである。生身の人間が生きていく上では当然のことではあるが、そればかりに固執すれば、神や仏にもなり得る偉大な人間が、利己的で保守的な単なる人間で終わってしまう。西郷であれば、現代人に特に若者にこう語りかけるであろう。「人間とは何か。人生とは何か。人の生きる目的は何かこれらのことを若いときに思索し、思いを行動に移し、そして己の哲学や思想を生み出せ!」と。
確かに経験の集積が人類の発展に重要であったことは分かる。しかし、一方ではコロンブスの新大陸発見のように、経験を無視するかのような無謀な未知への挑戦が人類の繁栄に大きな役割を果たしている。データをパソコンに入力するように、経験を集積分析して結論を出すだけでは人類は行き詰っていたであろう。人間の頭脳がパソコンであったり、思考がロボットであったりしてはならない。
一人ひとりの人間が自らの哲学や思想を持ち、自分自身のこと、人間という存在、自己と他の関係や天地自然とのかかわりを探求すべきである。そうであってこそ人としての強さと真の自由が得られ、停滞することなき人類の発展につながるのである。