西郷党BLOG

個を強くせよ 西郷吉之助 p032 第三章-11

一箇の大丈夫西郷吉之助

個(己自身)を強くせよ

世の常人がよりどころとするものに西郷は頼ることはしなかった。人はさまざまなものに寄りすがって生きている。それはお金であったり、財産であったり、地位や門閥や名誉であったり、また組織、権力、権限、一族、郷党、家族、宗教などいろいろなものを寄りどころとして生きている。『西郷南洲遺訓』はわずか五十三項目の小冊子であるが、その中で西郷が一番強調することは「一人ひとりが人の行うべき正しい道を行い、一人ひとりが己に克ち強く大きい人間になって欲しい」ということである。一人ひとりの人が強くなることは大切なことである。個が弱く小さいと、何かに頼ったりすがったり、集団化し平均化してしまう。人が目指す目標もまた小さいので、ますます人が弱く小さくなってくる。

西郷は『遺訓』の中で、人の道を探究し人としての強さと大きさと高さを持った人間を表現するとき、「大丈夫」「英雄」「聖人、賢人」「君子」という言葉を用いている。人の道を探究し人としての強さと大きさと高さを求める者を「道を行う者」「道を志す者」と呼んでいる。人が目指す目標が小さいから人が弱くなる。人はもっと目標を高く置き、聖人や賢人を目指し人の道を行い、自らを強く大きく高く成長させるべきである。弱く小さい人間同士だからこそ争いがありそれが絶えない。「聖人君子の交わり」というのがある。

西郷自身、常に聖人君子たろうとし、人にも「聖人君子の交わり」を求めていた。しかしながら、多くの人は自分の損得を第一に考え自分に利する交わりを求める。そこに権謀術数が入ったりする。なかなか西郷と海舟のような交わりとはいかないのである。国際社会や個人間の交わりも聖人君子のごとくであれば争いはないであろう。二十一世紀の現代でも独裁国家や発展途上の国家ほど個が弱く小さい。人が人間ではなくロボットや動物に近い環境にある。私は一人ひとりの人間が強くなることは重要と思う。強さや大きさを求め、本当に強く大きいからこそ、余力があり他人にもやさしくなれる。

それは西郷の生き方をたどり実感するのである。西郷は己独りが強くなればよいとは思っていない。より多くの人が強くなってくれることを願っている。それは、一人ひとりのひとの集合が国家であり社会を形成するからだ。全体は個のために、個は全体のためにという言葉がある。個の集合体が社会や国家であるなら、それを構成している個を強くすることが社会や国家を強くし発展させることになる。国家や社会の役目はその構成員である一人ひとりの個を強くすることでもある。

西郷は『遺訓』九項で「忠孝仁愛教化の道は政事の大体にして万世にわたり宇宙にわたり易可べからざるの要道なり。道は天地自然の物なれば西洋と雖ども決して別無し」と述べている。人として生きていく上で大切な忠孝仁愛を教え導いて善に進ませることが国や政治の役目であり、これを国家運営の柱石としなければならないと主張する。孝は育ててくれた親に対する感謝の思いであり、忠は、親に対する思いと同様に自分が生まれ育ち生活していく環境や国に対して感謝する思いである。忠とは、育ててくれた親に対する思いを、国家という概念にまで広げたものだ。狭義な忠では決してない。

敬天愛人の思想からも考えを大きく広くもつべきである。孝であれば忠でもある。しかし、順序は孝が先であらねばならない。親を思う心と国を思う心と他者への思いやりの心(仁愛)は、人として生きていく上で、人類が存在するかぎり永遠に変えることのできない根本にある道と西郷は説く。どの国が行なってどの国が行なわないというのではなく、東洋人であろうと西洋人であろうと人種を問わず、地球規模の視点で人々に広めなければならないのが人の道で
ある。

沖縄タイムス二〇〇九年六月二十日付に「飢餓人口十億人」の見出しがあった。国連食糧農業機関(FAО)の予測によれば、世界的な経済危機や食糧価格の高止まりの影響で、十分な栄養が取れない世界人口は二〇〇九年、十億二千万人に達するという。世界人口の六分の一が飢餓に苦しむことになる。有人宇宙ステーションがあり、インターネットが世界中に普及し科学技術の発展はとどまるところをしらない二十一世紀の現在においてである。六人に一人が飢餓に苦しんでいるとは人間の国家や社会として実に情けないことで
ある。わが子であれば、子供が六人いても飢えることがないように、一人ひとりに気を配り、体が大きい小さいに応じて食料が公平に行きわたるようにする。これは親の仕事である。これぐらいのことは人間以外の動物は本能として行っている。国家や社会の役割とは一体何であろうか。国連をはじめとした国際機関の果たすべき仕事とは何であろうか。

全体は個のために個は全体のためにあるはずである。西郷の人生を振り返り思うことは、自分自身を強くしようとしたことだ。己の個をどこまでも強く大きく拡大させようとしたのである。西郷は名君島津斉彬に見いだされなければ終生一介の役人であっただろう。吉田松陰のように天才的な才能があるわけではなく普通といってよい。ただ、違っていたのは、古今の聖賢や英雄豪傑の生き方を学び覚えようとしていた。いかに素直にそれを己のものにしようとしていたかが『手抄言志録』によく表れている。

「朝にして食わずば、昼にして饑う。少うして学ばずば、壮にして惑う。饑うるは猶なお忍ぶべし。惑うは奈可ともすべからず」

(朝食事をしなければ、昼には空腹を感ずる。同じように、少年時代に学問をしておかないと、壮年になって、物事の判断などに惑うことになる。空腹であることはまだ辛抱が出来るけれども、知識がなくて事の判断に惑うのはどうにもしてやれない)『手抄言志録』の九十五項である。多くの人は若いとき、高校や大学を卒業すると職に就くことを第一に考えるであろう。それが普通である。これを見ると西郷がどういう生き方をしようとしていたかが分かる。

就職し収入を得ることも大切であるが、それ以上に大切なのは、自分はどういう人生を送るのか、どういう生き方をすべきか思い悩み学び探究し、人生の指針を持つことである。西郷が望むのは「飢えず」よりは「惑わず」である。惑わない揺るぎのない生き方をいかにしてつくり上げるべきか、その形を古今の聖賢英雄から学ぼうとしている。政治の表舞台に登場した後も「ますます頼もしい奴だ」と斉彬に思われ、倒幕の過程では絶対の自信と果断に富んでいた。多数の幕末の志士の中にあってその存在は際立ち千両役者の観があった。

「個を強くせよ」。一人ひとりの個(己自身)を強く大きくすることである。地位や名声を得ていようとなかろうと、金持ちであろうとそうでなかろうと、「惑わず」を選択した平生の西郷の個があまりにも強く大きく光っていた。そのため、「天運」という日本の歴史をつかさどるプロデューサーがいたとすれば、欧米列強が迫る幕末日本にあって「天運」は、一介の下級武士西郷に救国の役割を与えざるを得なかったと思える。

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