はじめに
イギリス人アーネスト・サトウは幕末に来日し、西郷と何度も会っている。サトウは日本語に堪能なイギリス公使館の通訳官で、幕末の志士や幕府の高官ら後に「歴史上の人物」と呼ばれる人々と幅広く交流した。日本の幕末史を最も知り、かつ客観的に見ることができた唯一の外国人である。その若きイギリス人サトウの目に映った西郷を表現しようと思った。サトウは膨大な数の日記を書いている。そこにサトウの目を通して描かれている西郷は通説とはあまりにも違うのである。読者は新たな西郷を発見することになるであろう。
サトウは西南戦争が勃発する直前の鹿児島に行き西郷と会っている。その後も鹿児島に滞在して状況を観察し、出陣する西郷を見送り、そして戦争中は勝海舟とともに西郷助命の運動をしていたのである。
また当時の鹿児島にはもう一人のイギリス人が在住していた。サトウの友人でイギリス公使館の医師であったウイリアム・ウイリスである。ウイリスは戊辰戦争の時の西郷との縁で鹿児島に行き、現在の鹿児島大学医学部と附属病院の前身ともいえる鹿児島医学校と鹿児島病院の設立と運営に当たっていた。西郷は出陣する前、サトウもいる時にウイリスの家を訪れるのである。二人のイギリス人との親交の中には、西郷の新たな一面や魅力を見出せる。
『西郷南洲遺訓』や、西郷が沖永良部島に流されていたときに島役人土持政照に書いて与えた「与人役大体」には、西郷の思想と哲学が記されている。そこに表現されている西郷の道義主義的考えは現代にこそ有効である。
昨今の世界情勢を見るとき、民主主義と資本主義・貨幣経済が行き詰まっているように思える。西郷の思想や哲学にはこれらを打開する術すべがある。紛争やテロが続発し混迷する世界の政治と経済に今こそ、西郷の持つ道義主義的考え方が必要ではないだろうか。
西郷が抱いた「敬天愛人」の思想は人種や民族や国家の枠を超えた壮大なものである。世界各地で国際化が進む一方、民族や宗教などさまざまな問題をめぐり、国家間や国内で紛争が起きている。個人と個人の間においても、寛恕の精神が必要とされる時代ではないだろうか。現代の物質文明の中で、西郷が唱えた、欲を少なくするという生き方や、人は道を行うものとする行動原理は、世界の人々から必ず共感を得るはずである。
平成二十六年五月五日 早川 幹夫