第三章 道義国家
1 国家の必要性
二〇一四(平成二十六)年三月十九日の朝刊の一面に大きな見出しで「クリミア編入宣言、ロシア大統領、条約に調印」と報じられた。記事によれば、ロシアのプーチン大統領は十八日、クレムリンに上下両院の議員らを招いて演説、住民投票でロシアへの編入が支持されたウクライナ南部クリミア自治共和国と特別市セバストポリの帰属について「強力で安定した主権の下に存在しなければならない。それはロシアだけだ」と述べ、ロシアに編入すると宣言したという。これでは十九世紀の帝国主義の時代に逆戻りしたようだ。ロシアが蒔いたこの紛争の種が未来の第三次世界大戦の遠因となるかもしれないのである。
そもそも国家とは何であろうか。広辞苑には「一定の領土とその住民を治める排他的な統治権をもつ政治社会」とある。近代以降では通常、領土・国民・主権が国家の三要素とされる。現在国際連合に加盟する大小二百の様々な国も、日本の戦国時代の領国も江戸時代の三百諸侯の藩も国家の形態という面ではそう大差はない。当時と比べて科学技術の発達と産業の発展においては隔世の感はあるが、住民が税を徴収されることには変わりない。
人間も食事をしなければ生きていけないことは他の動物と何ら変わりはない。ネアンデルタール人やクロマニョン人の時代であれば、人間は明日生きることを考るだけでよいかも知れないが、発達した文明社会の中でしか生きられない現代人は衣食住がそろわなくては生活できないのである。人間の寿命およそ八十年の間、子育てをして衣食住を満たすために仕事を通して貨幣を得る。古来より人が望むものは、衣食住が満たされ安心して子育てができ生活できることである。
人類の歴史を見ると、古代、中世、近世、近代と様々な国家(一定の領土とその住民を治める排他的な統治権をもつ政治社会)の興亡と統廃合の歴史と言える。人間の集団は強い者や権力者の意志に振り回される。これもネアンデルタール人のときと変わらず、猿や狼の群とも大差はない。どういう国家であれ、古来より住民が求めることは、安心して生活できることであり未来に生きる子や孫も同様に生きていけることである。これを満たすための国家であれば国家の存在価値はあるが、そうでなければ国家という枠はない方がよい。権力者の恣意により運営される国家もある。そこには住人が存在している。このような国家は人類史には数多く存在し、現代でもそれはある。