第一章 西郷隆盛
7 文明開化と西郷
ちょうど西郷が政権の座にいたときは、徳川幕府の弊習、旧習が改められ、旧制度の廃止と新制度の設立が次々と打ち出された時期であった。革命を成し遂げた政権が持つ独特の解放感と明るさと未来への期待が「文明開化」の文字に表れている。西郷の文明に対するとらえ方は一般の人とは違っている。
「文明とは道の普く行はるるを賛称せる言にして、宮室の荘厳、衣服の美麗、外観の浮華を言ふには非ず。世人の唱ふる所、何が文明やら、何が野蛮やら些とも分らぬぞ。予、嘗て或人と議論せしこと有り、西洋は野蛮ぢゃと云ひしかば、否な文明ぞと争ふ。否な否な野蛮ぢゃと畳みかけしに、何とて夫れ程に申すにやと推せしゆえ、実に文明ならば、未開の国に対しなば、慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導く可きに、左は無くして未開朦昧の国に対する程むごく残忍の事を致し己れを利するは野蛮ぢゃと申せしかば、其の人口を莟めて言無かりきとて笑はれける。
(【訳】文明というのは道理にかなったことが広く行われることをたたえていう言葉であって、宮殿が大きくおごそかであったり、身にまとう着物がきらびやかであったり、見かけが華やかでうわついていたりすることをいうのではない。世の中の人のいうところを聞いていると、何が文明なのか、何が野蛮〈文化の開けないこと〉なのか少しもわからない。自分はかつてある人と議論したことがある。自分が西洋は野蛮だと言ったところ、その人はいや西洋は文明だと言い争う。いや、野蛮とたたみかけて言ったところ、なぜそれほどまでに野蛮だと申されるのかと力をこめていうので、もし西洋がほんとうに文明であったら、未開国に対してはいつくしみ愛する心をもととして懇々と説きさとし、もっと文明開化へと導くべきであるのに、そうではなく、未開で知識に乏しく道理に暗い国に対するほどむごく残忍なことをして自分たちの利益のみをはかるのは明らかに野蛮であると申したところ、その人もさすがに口をつぐんで返答できなかったよと笑って話された)」(『遺訓』十一項)
西郷のこの話をみてわかるように、定説となっている「西郷の征韓論」は明らかにまちがいである。西郷の思想は現代人のわれわれにも理解しにくい、当時はなおさらであったであろう。
現在でも西郷研究者でさえ西郷の思想を理解しがたくしているのは、研究者の思考と西郷のそれがかけはなれているからである。西郷は天の視点で物事をみているのに対して、われわれにはそこまでの高さの視点では見られないのである。天は万物の創造主であるが、分かりやすくするために、天を地球規模まで近づけると、天は地球人類七十億人の母親である。母親は七十億人すべてをわが子としてみる。母親はわが子が安心して幸せに生活することを望み、そして道義(人としての正しい道)を行うことを願うのである。日本人であろうが、アメリカ人であろうが、中国人、アラブ人と国や人種の区別は持たない。西郷はこの天の視点で物事を見ようとしている。いまだにわかりにくい存在となっている原因である。
西郷が素晴らしいのは、「知行合一」をもって己の哲学思想を実践していることである。征韓論にしても実際は西郷が朝鮮に行き「慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導くべく」願い出たのである。定説となっている、朝鮮に行き殺されたら戦争の口実となる、それによって不平士族に十分戦ってもらうなどは浅見の極まりと言える。研究者諸氏も「知行合一」の実践を伴う研究でなければ、とくに西郷のような人物の本質が分からないのである。