第三章 道義国家
10 道義国家の役割
地球人類の人口は七十億に達している。わずか三百年ほど前にイギリスで起きた資本主義・自由経済の流れは世界中に広まり、今ではほとんどの人々が貨幣に頼る消費生活を余儀なくされている。自給自足は悪であるかのごとく見なされ、ありとあらゆるものが衣食住を含めて貨幣を出さなければ手に入らない。貨幣なしでは生きていくこと自体が困難な環境になってしまっている。
今世界では石油に加えて天然ガスやシェールガスといったエネルギー商品が開発され売買されている。また、エネルギー以外の資源も売買の対象となっており、大国によるエネルギー争奪戦の様相を呈してもいる。現代文明社会では電気やガスなどのエネルギーが供給されなければ社会の機能が停止する。日本の大東亜戦争(太平洋戦争)も資源戦争の一面があったのは事実である。
最近ロシアが、ウクライナの一部であったクリミア半島を強引に自国に編入した。
このほか、シリア、エジプト、イラクやアフガニスタンなど内紛・内戦を起こしている国家は存在する。宗教問題や民族対立に加えて、先進国と発展途上国の経済格差、そして国内における貧富の格差などさまざまな紛争の火種が存在する。兵器や天候さえもビジネスにしてしまう資本主義・自由経済の世界では、国家自体が国益のためと称して紛争の火種を煽り、独善やエゴから戦争を起こしやすい。
さらに資本主義自由経済は民主主義と相性が良く結び付き、個人においてもエゴを増大させる役割を担う。資本主義自由経済が拡大すればするほど地球上の紛争は増すばかりであり、民主主義政治では阻止することはできないと言ってよい。このことは今までの人類の歴史が証明している。
人間には人間の生き方が、国家には国家としてのあり方があるはずである。宗教や民族、人種に関係なく人間として生まれたら、誰しも人として生きるための教育を平等に受け、人として有意義な人生を送る義務がある。その環境を満たすのが道義国家である。物質文明は人類の発展に大きく寄与し、豊かさと利便さをもたらしたが、一方では人間のエゴを増大させることにもなった。
人間が本来根源として備えている道義を、道徳や人の道として日常の生活に浸透させることで、エゴとのバランスを取ることが今後の人類にとって必要であろう。現行の民主主義制度といたずらな経済発展には危ういものがある。民主主義や経済のシステムの中に、道義という概念を国家運営の基本に置く道義国家の出現が望まれる。
それはそんなに難しいことではない。人間には教育をすることも訓練することもできる。何よりも道義の良さや心要性を多くの人が認識できる環境にすることである。
そうすれば自然と道義国家になって来る。人類の長い歴史において道義国家は人の生き方や成長に視点を置き、物質文明との調和をはかり人間性回帰の役割を持った国家と言える。