第二章 道義主義
5 道義は人間に後天的に備わった本能
人類の起源は五百万年~七百万年前にあるという。アフリカの森にいた猿が地殻の変動などにより草原に降りざるを得なくなった。草原の猿は無力でありライオンやヒョウといった肉食獣から身を守らなければならない。そのため、草原で少しでも遠くまで見渡せるようにと背を伸して二本足で立ち、いち早く外敵の襲来を察知しようとした。この行為が人類進化のもととなった直立二足歩行であるという。以来、人類は火を発見し道具を用い、生きていく過程で得た経験や情報を子孫や仲間に伝達することで、ライオンやヒョウの持つ鋭い牙や爪に代わるものとした。何百万年何十万年と進化を続けた人類は、蓄積された経験を文字によって子孫に伝えることができるようになり、大いに繁栄したのである。
人類の起源を五百万年前として、ネアンデルタール人やクロマニョン人といった人類の祖先が出現した時期をおよそ十万年前とする。この期間は五百万年の二%にすぎず、残りの九八%に及ぶ期間は人類が大自然と同化して自然界の一部であったといえる。世界に四大文明が発生して以降の人類の進化は速い。特に産業革命以降は、わずか二百~三百年で今日まで劇的な発展を遂げている。この文明の急激な発達は人間を自然界から切り離し、人類を自然界とは別の存在としたのである。
有史以来、文明が発達するにつれ、人間は数知れない大小の戦争を繰り返してきた。ジョージ・アダムスキーが述べるように、自己の生命の維持と自己快楽に、人の想念の九九・九九%が占められているとすれば、個人の間で我欲や主張がぶつかり争いや殺人に発展する。それが国家や民族規模に拡大すれば戦争や紛争となる。
人間の赤子の成長を観察すると、あたかも人類の進化の過程をたどっているようにみえる。生まれてまもない時期は目も開かず、他の動物と同様である。しばらくして四つんばいになってハイハイを始めるようになる。そして何かにつかまり、自分の足で立ち上がろうとする。この動作を繰り返して二歳近くになると、独りで立ち上がり誰の手も借りずに直立二足歩行ができるようになる。
子供は自由に歩いたり走ったり動きまわり、人類進化の何百万年~何十万年の過程を経験する。カタコトの言葉を覚話箸やフォークといった道具を使うようになる。さらに成長すると学校へ行き、人類の遺産である知識を学習するのである。同時に自我に目覚め成長するに従い、己という個を意識し一人の人間を形成していく。飽くなき人間の欲望と科学技術の発展はすさまじく、人間はあたかも創造主のごとく次から次に新しい物を生み出している。創造主や天の視点で考えてみる。宇宙や大自然の中にあって人間以外の他の動植物は、大自然の一部であり自然界の法則に従って存在している。人間のみは直立二足歩行をするようになって以来、自由意志を持ち自然界から独立した別の存在になったと考えられてきた。しかし、実際は人間自体も宇宙や大自然の法則の中に存在しているのである。
自らを自然界とは別の存在と認識し、万物の王者のごとくなった人間に対し、世界の歴史上の宗教家、哲学者、思想家、科学者といった先師が人間の存在を解明しようとした。その代表格がシャカやイエス・キリストや孔子、孟子、ソクラテス、カントといった偉大な賢者であった。西郷は天という万物の創造主の目をもって人間のあり方と生きる目的を見ようとしている。二十一世紀の現在でも、人間の存在そのものは進化論のみで片付けてよいのか、それとも神や創造主といった仮説を用いねば説明できないのか、これだけ科学技術が発達しても明確な答えを見出すことは難しいのである。
十七、八世紀に現れた天賦人権思想のように、進化を続ける人間という種に対しては、他の生命体とは別の存在とみなさなければならないのであろうか。今から三十年ほど前、山口県のある医師は、牛から抽出した細胞を限界まで薄めていくと、そのギリギリのところでは身の危険を感じるほどの強烈な生命の磁場が発生し、それ以上研究することはできなかったと述べておられた。今話題のiPS細胞について考えると、生命体はまだまだ多くの不可思議な能力を持っているように思える。ここでは西郷の唱える人の道を理解するため、万物の創造主にして仁愛という機能を持つ「天」を通して人間を考える。
西郷は「道は天地自然の道なるゆえ」「道は天地自然の物にして」と述べている。
人間は、自由意志を持ち創造する能力を持ち、未来を切り開く力を持つが、その人間も天の意思である宇宙・大自然の法則の中に存在しているのである。「道」という人間が行うべき規範があり、その規範を守り行うことが宇宙・大自然の法則に則り調和することであると西郷はみている。生成発展は宇宙の法則であり、調和(バランス)は大自然の法則である。しかるに、人間は自然界を見るとき、あたかも自然界の支配者のような錯覚を持ってしまうのである。核を開発し、自然界のバランスを崩しかねない核実験を繰り返し行っている。それが、人間の傲慢さは肥大する一方であり、とどまることを知ろうとしない。
宇宙大自然に天の意思にもとづく法則があるように、人間にも天の意思にもとづく法則がある。人間が宇宙・大自然と調和するための唯一の法則であり、西郷は「人の道」と呼んでいる。人間には人間が行うべき法則がある。人の道であり、これを自由意志を持つ人間が行うことこそが、宇宙・大自然と調和することと言える。人間は本来道を行うべき存在であり、これを行うことによってはじめて人間として成長し、同時に人として生きる目的をも知ることになると西郷は考えている。道は本能のように与えられているものではない。人間は生きて学び成長する過程で、潜在意識の中に等しく植えられている「人の道」という種を発芽させなければならないのである。それは、土の中にある種子に水と肥料を適切に与え発芽させて成長させることに似ている。