至誠
「誠心誠意」といってもすべてに誠心誠意を尽くせるわけがない。大体人間は己の都合で誠心誠意を尽くすべき人や誠心誠意を尽くしたい人と、そうでない人とを自然に区別している。誰でも彼でもということはできない。自分にとって大切な人やプラスになる人であれば誠心誠意を尽くすが、何の縁も恩もない赤の他人にできるはずがない。こう思うのが普通である。目の前の損得で計算するとそうなるが、人生の総決算で見ると誠心誠意を尽くした方が得になる。一般に人は目の前の損得は計算できるが、十年後三十年後の損得は計算できない。宮本武蔵の『五輪書』に兵法の心得として「物事の損徳をわきまえる事」がある。目の前に起こるさまざまな事象に左右されることなく、自身にとっての本当の損得を見極めて行動せよという意味である。
誠心誠意も人それぞれの誠心誠意があり、その質も人によって違う。個人の主観によりさまざまな行為として表れる「誠心誠意」であるが、中途半端で薄っぺらなものはかえって害になることが多い。誠心、誠意、誠、至誠に伴う行動には純度がある。純度百%は無私の状態であり、これができる人はまずいない。母親が無私の心で幼子に尽くす行為に近い。我欲を持った人間が誠心、誠意、誠という行為を本能のように高めたら、文字どおりの至誠となるのであろう。訓練し修業することによって至誠の純度を高め、その高い段階に達することができると西郷は述べ、到達度の段階を「至誠の域」「至誠の地位」という言葉で表現している。「至誠の域」は、柔道にたとえるなら初段となって黒帯を締め一人前と言われるように、その道に足を踏み入れた段階であろう。訓練し至誠というものを知り、その領域に入ることができた段階を西郷は「至誠の域」と呼んだ。
「至誠の地位」は、黒帯となって何十年と研鑽を重ね修業し、十段ぐらいの自他ともに認める名人の地位であろう。宮本武蔵の言葉に「千日をもって鍛とし万日(約三十年)をもって練とす」がある。「至誠の地位」もまた万日の修練を経てその境地に達するのであろうか。次の『遺訓』では、西郷は「至誠の地位」「至誠の域」とはこういうものであると、司馬温公の言行などを例に挙げて説明している。
■ 至誠の地位(『遺訓』補遺1項)
「誠はふかく厚からざれば、自ら支障も出来るべし、如何ぞ慈悲を以て失を取ることあるべき、決して無き筈なり。いづれ誠の受用
においては、見ざる所において戒慎し、聞かざる所において怖懼する所より手を下すべし。次第に其功も積みて、至誠の地位に至るべきなり。是を名づけて君子と云ふ。是非天地を証拠にいたすべし。是を以て事物に向へば、隠すものなかるべきなり。司馬温公曰『我胸中人に向うて云はれざるものなし』と、この処に至っては、天地を証拠といたすどころにてはこれなく、即ち天地と同体なるものなり、障礙する慈悲は姑息にあらずや。嗚呼大丈夫姑息に陥るべけんや、何ぞ分別を待たんや。事の軽重難易を能く知らば、かたおちする気づかひ更にあるべからず」
(誠というものは、深く厚くなければ自然にさしさわりも出て来るであろう。どうしてあわれみをかけて失敗するというようなことがあろうか。決してないはずである。これから誠を身につけるためには、人の見ていないところで心を戒め、慎み、人の聞いていないところで恐れかしこむということから、まずはじめるべきである。そうすれば次第にその結果も表れて、至誠の地位に至ることができるであろう。このような境地に至った人を君子というのである。ぜひ、天地をあかしにすべきであろう。こういう心でいろいろな事に対処したら、何も隠すようなことはないであろう。司馬温公が言ったことがある。「自分の心の中は人に向かって言えないようなことは何もない」と。この境地に至っては天地をあかしとするどころではなく、天地と一体である。さしさわりの出て来る慈悲〈情深い心〉などというのは一時の間に合わせではないか。ああ、大丈夫たるもの、どうして一時の間に合わせなどに陥っていいものだろうか。
どうして物の判断などに待つ必要があろうか。事がらの軽いとか重いとか、難しいとかやさしいとかをよく知っておれば、片手落ちなどする心配は決してないものだ)
■ 至誠の域(『遺訓』追加2項)
「至誠の域は、先づ慎独より手を下すべし。間居即慎独の場所なり。小人は此処万悪の淵藪なれば、放肆柔惰の念慮起さざるを慎独と云ふなり。是善悪の分るる処なり、心を用ゆべし」
(至誠の領域はまず独りを慎むことから手を下すべきである。することもなく、ひまでいることは、すなわち独りを慎むによい場所である。小人〈徳・器量のない人〉
にとっては、こういう場所が、すべての悪いことのより集まるところであるから、わがままや、心弱く怠ける思いを起こさないこと、独りを慎むということである。ここが善と悪との分かれるところであり、最も心を用いなければならない)この至誠にしても、前項の大勇にしても、また剛胆さや細心さにしても、人間は訓練し修業することで得られるものであり、また、人として成長するためには得なければならないものと考え、西郷自身これらを修業により本能のごとく身につけていた。人間は訓練し修業することによって、強さと大きさと高さを持ったまさしく「一箇の大丈夫」として己をつくりあげることができると、身をもって証明したのである。