西郷党BLOG

仕末に困る人 西郷吉之助 2p010-第一章_08

仕末に困る人西郷吉之助

第一章 仕末に困る人

弱い者には弱く強いものには強く

普通の人は弱い者には強く、強い者には弱い。人類の長い歴史の中でも、これは当たり前である。現代の国際関係においても我が国内でも、政治。経済・個人レベルにおいても当然であり、日では言わないが常識である。西郷の考え方は多少違う。弱い者、弱い立場にある者はもともとその立場にあるのだから、弱い人には弱く当たってもいいじゃないか。弱い人に弱くすると、つけ上がったり調子にのったりするだけで、かえってよくないと言う人もいるだろう。西郷は「それでもいいじゃないか。そういうのを許せる、気にかけることもないほどに、自分の心の大きさを持て」と言うだろう。

逆に強い者、強い立場にある者には、ただでさえその立場にあるのだから、親が幼い子供にやさしくし慈しむようにすべきである。強い者には強く接することにより、強者のもつ傲慢さや横暴さを自覚させ是正することができる。また西郷は、強い者や強い立場にある者が権力・権威をかさに着て理不尽なことをしたり、横暴。悪政・不正義を弱者に行ったりすることを許すことができない気性を持っていた。奄美大島竜郷での代官や役人中村なにがしに対する西郷の行動はその例である。弱い者は自分より弱い者に強く接する。強く接せられたその者はさらに自分より弱い者に強く接する。さらに弱い者、さらに弱い者へと進んでいく。人類の歴史の中で起きた反乱・暴動。一揆。革命といったものは、強者に抑圧された弱者のストレスの暴発と言えなくもない。最近の幼児や子供への親による虐待は、反撃する手段を何も持たない幼児子供という絶対的弱者に対する親という絶対的強者の暴政・悪政。虐殺とも言える。このところ事件として取り上げられている、通行人に対する通り魔事件や女性に対する暴力・暴行事件も、犯人の牙が明らかに弱者に対して向けられる事件である。

大体、強者に立ち向かって行くことはできるものではない。反撃され自分の身に危険がおよぶ。ライオンでも象は襲わない。わが身は安全なところにおいて明らかな弱者に対して牙を向ける。そして弱者は、さらなる弱者へ牙を向ける。動物の世界ではこの連鎖は当然であるが、人間の社会でこの連鎖はあってはならない。西郷は別の仕組みは何かと考えたであろう。そのためにはわが身をもって実験し検証する以外ないと思ったことであろう。それは西郷が目指す聖賢の道を実践することであったにちがいない。

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