西郷党BLOG

道義国家を目指した 西郷吉之助 3p052-第五章_07

道義国家を目指した西郷吉之助

第五章  四海同胞

7 意識を変革すれば世界が変わる

西南戦争の最中、カンバラ・セイジという旧南部藩出身者がサトウを訪ねてきて、ウイリアム・ウイリスを西郷に会いに行かせて降服を勧めたらどうかと提案した。その時の日記に「ウイリスはあまりにも西郷の味方すぎて西郷に降服をすすめる気など、到底なれないことである」と書いている。幕末から明治の激動期に西郷は二人のイギリス人と出会い、文字どおり「四海兄弟」の意識で接している。サトウもウイリスも日本人女性と結婚するのである。彼らは日本びいきになり、それぞれの分野で日本に大いに貢献した。
今日、日本ではグローバルな視点やインターナショナルな意識の必要性が叫ばれている。西郷は英語を話せなくとも精神はすでに四海兄弟であった。だからこそ、サトウやウイリスは兄弟のように西郷に接し、西郷もまた兄弟のように彼らと接したのである。われわれ日本人はもっと西郷を学ばなければならない。幕末に外国人とこのような接し方をした日本人がいたであろうか。

明治になっても西郷は彼らとの親交を続けた。戊辰戦争後、鹿児島に帰ったが、政府の強い要請を受け、一九七一(明治四)年四月二十一日、廃藩置県断行のため再び上京するのである。廃藩置県に取りかかる直前、サトウを訪問している。

「六月十一日 西郷吉之助(隆盛)が訪ねてきた。かれは非常に無口であった。いつまで東京にいることになるのかわからないと言った。(中略)西郷はリチャードソン事件(生麦事件)のときは遠島( 沖永良部島)になっている最中で、鹿児島砲撃(薩英戦争)のあとでやっと鹿児島に帰ることを許されたという。三度遠島の憂き目にあったそうである。今年の春の豊後日田地方の事件は、農民一揆にすぎなかったという。かれの藩は、東京に三千名以上の兵を置いているそうである」

まるで実弟にでも話すかのように、西郷は心情をサトウに述べている。日本人の西郷は、他国の二千五百年前の孔子や孟子を人生の師と尊敬し学び、彼らに近づこうと訓練している。西郷の感覚では、イギリスから来た日本語が堪能なサトウや、外科医のウイリスも四海同胞を実践する友人なのである。

二十一世紀の現在において、オリンピックやワールドカップなど世界規模のスポーツ大会では、四海同胞の状態に見えるが、現実には世界のあちこちで紛争や内戦が起こっている。宗教や民族の対立、貧富の格差などに目を向ければ、地球人類は国家のレベルでも個人のレベルでも、まだ四海同胞の意識は持っておらず、それを意識しようとさえしていない。
 「意識を変革すれば世界は変わる」という。人類はかつて自由主義や民主主義を意識することで、従来の体制を変革し自由主義民主主義の思想と国家を生み出した。現在の混迷する世界の政治や経済を見るとき、国家も個人も意識を変えなければならない時期に来ているのではないかと思える。
 西郷は「人は道を行うもの」とし、「道を行うには西洋人であろうと東洋人であろうと区別はなく、人間は誰でも人としての道を学び行うものである」と述べている。

道を行うという根本において、人類はすでに四海同胞なのである。西郷は幕末に四海同胞の意識があったから、サトウやウイリスと兄弟のように接することができたと言える。現代に生きるわれわれも「人は道を行うものという意識」や「道義主義という意識」を持つべきである。そうすることで世界は初めて変わることができる。現在当たり前のようになっている自由主義も民主主義も多くの人々が意識した結果として実現したのである。

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