西郷党BLOG

個を強くせよ 西郷吉之助 p022 第三章-01

一箇の大丈夫西郷吉之助

地球が爆発してもびくともしない心胆

西郷は『遺訓』の中で「予壮年より艱難と云ふ艱難に罹りしゆえ、今はどんなことに出会ふ共、動揺は致すまじ、夫れだけは仕合せ也」と述べている。「個を強くする」といって、これほどの境地はないであろう。宗教や思想で麻痺させたものではない。若いときから自ら進んで人の道を探求し行ってきた。そして、さまざまな困難という困難に遭ってきた。その中で人間の生と死、生きる目的、他人とかかわることで生じる悩みや苦しみ、これらの出来事と天地自然の理ことわりを見極めた上で、「今はどんな事に出会っても心が動揺することがない」と西郷は言い切る。たとえは大きいが、地球が爆発してもびくともしないほど心胆が鍛えられていた。

次の文章は勝海舟の『氷川清話』に出てくる西郷のエピソードである。
「あの人見寧(のち茨城県知事)という男が若い時分に、おれの処へやってきて『西郷に会いたいから紹介状を書いてくれ』といったことがあった。ところがだんだんようすを聞いてみると、どうも西郷を刺しにいくらしい。そこでおれは、人見の望みどおり紹介状を書いてやったが、中には『この男は足下を刺すはずだが、ともかくも会ってやってくれ』と認めておいた。

それから人見は、じきに薩州へ下って、まず桐野に面会した。桐野もさすがに眼がある。人見を見ると、その挙動がいかにも尋常でないから、ひそかに彼の西郷への紹介状を開封してみたらはたして今の始末だ。さすがに不敵の桐野も、これには少しく驚いて、すぐさま委細を西郷へ通知してやった。ところが西郷はいっこう平気なもので、『勝からの紹介なら会ってみよう』ということだ。

そこで人見は、翌日西郷の屋敷を訪ねていって、『人見寧がお話を承りにまいりました』というと、西郷はちょうど玄関へ横臥が
していたが、その声を聞くとゆうゆうと起きなおって『私が吉之助だが、私は天下の大勢などというようなむつかしいことは知らない。まあお聞きなさい。先日私は大隈の方へ旅行した。その途中で、腹がへってたまらぬから十六文で芋を買って食ったが、たかが、十六文で腹を養うような吉之助に、天下の形勢などというものがわかるはずがないではないか』といって大口をあけて笑った。

血気の人見も、このだしぬけの話に気をのまれて、殺すどころの段ではなく、挨拶もろくろくせずに帰ってきて、『西郷さんは、実に豪傑だ』と感服して話したことがあった。知識の点においては、外国の事情などは、かえっておれが話して聞かせたくらいだが、その気胆の大きいことは、このとおり実に絶倫で、議論もなにもあったものではなかったよ」

西郷にしてみれば、海舟の紹介であり、自分を殺しに来るという若者に会ってみたくなったのであろう。西郷は血気盛んな若者が好きであった。幕末動乱の時代が煮えたぎっていたとき、「勤皇」「佐幕」と日本を突き動かしたのも血気にはやる志士浪士といった若者だった。西郷自身もその渦中にいたのである。西郷は会うことで、殺気をおびた若者のマイナスのエネルギーをプラスの血気に転化させようとした。そこで若者の気勢を削ぐために宮本武蔵の「背く拍子」とでもいった「だしぬけの芋の話」になったのだろう。西郷一流の若者への愛情ある対応である。

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