第二章 道義主義
8 生活の中に仕組みとして入れるべき道義主義
ちょっとしたことでも訴訟を起こしてしまう。日本もアメリカに倣って訴訟の多い国になってしまうのか。多少のことでは傷つかない心をつくりあげるとか、心に幅を持たせ、ある程度のことには片目をつぶって済すことができるなど、心の余裕や大き生活の中に仕組みとして入れるべきさを持てないのだろうか。
我欲と我欲がぶつかりあう人間社会ではあるが、「人ひとを相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして己れを尽し人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬ可し」とはならないものであろうか。これは西郷の言葉であるが、西郷だから特別にできるのではない。自身を人間として成長させようとか、心を広く大きくしたい、強くたくましい人間になりたいなどを、生きる目的に少し加えるだけでも人間の幅は広がる。次の『遺訓』を見ると、いかに西郷が日常の中に道を行うことを取り入れていたかが分かる。
「道を行ふ者は、固より困厄に逢ふものなれば、如何かなる艱難の地に立つとも、事の成否身の死生抔などに、少しも関係せぬもの也。事には上手下手有り、物には出来る人出来ざる人有るより、自然心を動かす人も有れ共、人は道を行ふものゆえ、道を蹈むには上手下手も無く、出来ざる人も無し。故に只た管道を行ひ道を楽み、若し艱難に逢うて之を凌がんとならば、弥々道を行ひ道を楽む可し。予壮年より艱難と云ふ艱難にりしゆえ、今はどんな事に出会ふ共、動揺は致すまじ、夫れだけは仕合せ也。
(【訳】道を行う者はどうしても困難な苦しいことに会うものだから、どんな難しい場面に立っても、その事が成功するか失敗するかということや、自分が生きるか死ぬかというようなことに少しもこだわってはならない。事をなすには上手下手があり、物によってはよくできる人やよくできない人もあるので、自然と道を行うことに疑いをもって動揺する人もあろうが人は道を行わねばならぬものだから、道をふむという点では上手下手もなく、できない人もない。だから一生懸命道を行い道を楽しみ、もし困難なことにあってこれを乗り切ろうと思うならば、いよいよ道を行い道を楽しむような境地にならなければならぬ。自分は若い時代から困難という困難にあって来たので今はどんな事に出会っても心が動揺することはないだろう。それだけは実にしあわせだ)」
西郷が述べているように、西郷の人生のベクトルは道を行うことにあったのである。このベクトルの中に西郷の歴史があると言ってよい。青年時代の西郷、斉彬時代の西郷、遠島流罪時代の西郷、討幕時代の西郷、明治時代の西郷そして西南戦争と、どれをとっても道を行うというベクトルの中で西郷は起臥していたのである。これを承知の上で西郷を研究しないと、西郷の一部分しか見えず、断片的な人物像しか浮かび上がってこない。ここが幕末明治維新の他の人物と西郷が異なるところといえる。現代社会においても、道を行うと考え日常の中で実践しようなどという者はいない。道を行おうとしても周りはそうでない人が多く、様々な障害が想像されるからである。
今日の社会では国内外で何か重大な問題が起きると、非人道性や道義的責任が叫ばれることはあっても、人々の多くは日々の生活に手いっぱいで、普段は道や道義のことは頭に入っていない。本来、道や道義(人の行うべき正しい道)は人が行動を起こし、物事を判断するための最高の基準であるべきである。しかしながら、これに代わって法や規則が日常の生活の中で網の目のように張りめぐらされ人間の自由意志を制御している。このため、多くの人は道義を基準に判断することを忘れ、法に触れない範囲の自由に身をまかせてしまっている。現在多くの国家は法治主義であり、法による支配が重視されており、道や道義は判断基準になっていない。己を律することや他人の利益のために働く精神は薄れ消えてしまっている。人類社会の進化のためには、判断基準として法よりも道義に重きを置く慣習や多くの人が道義を行いやすくする社会システムが必要である。そうでなければ利便さを求める科学技術は発展しても、人間そのものの進化はあまり望めないであろう。